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煤に汚れた顔を洗いに、膝までの雪を掻き分けながら、ゆっくりとした足取りで川辺に向かう。炉に一度火を入れると、鉄ができるまで数日に渡って火を管理し続けなければならない。ケンと代わるがわるとは言え、常に眠気との闘いとなる。夜が明けると共に顔を洗って眠気を飛ばさなければ、寝落ちするのは必至。一定を保たなければならない炉の火の変化を見落とした途端に、鉄造りは失敗に終わる。冬にしては珍しくお日様が顔を出している。徹夜で半分塞がった目に、水面を泳ぐ光が眩しい。流れる水に手を入れると、切れるような冷たさだ。おかげで目が覚めた。掌でそっと水をすくう。ふいにテラの顔が眼前に浮かんだ。旅から村に帰った日以来、もう何年もの間、顔を見ることさえできていない。常に先々まで考えを張り巡らして日常を送る彼女の思い出には、意外に笑顔の記憶が少ないことに今になって気が付いた。大変な思いをさせていたのだよなと、島ごと流されるという天変地異の中での生活だったとは言え、今より幼く、知恵も何もない過去の自分のふがいなさにため息が出た。
「リョウ!こんな所に座り込んで、寝ちまっているんじゃないの?」
通りかかったソウが背中から声を掛けてきた。
「雪が少ないから、今日、俺は一旦村に帰って、親父とお袋に子供の顔を見せてくるよ」
冬になってすぐに、サイとソウの間に赤ちゃんが生まれた。なるべく早く、親に会わせたいと言っていたのだけれど、腰まで雪がある中では村への行程は厳しく、ある程度雪が落ち着くまで待っていたのだった。
「そうか、そうだよな。雪が少ないとは言え、気をつけてな」
すれ違い様にそう伝えると、僕は鉄炉に向かって戻り始めた。
「リョウ、ふらついているぞ、あまり根を詰めるなよ。身体を壊したら元も子もないからな」
後ろからソウの声が聞こえる。心配げな声色に、かえって情けない気分になる。
「そうだよな、気をつけるよ」
僕は振り返ることなく片手をあげて答え、また歩き出した。ソウの気配が無くなった後、歩きながら考え続けた。何かを伝え損ねたような気がしてならなかったのだ。炉に戻り、火を覗き込んだ時にようやく気が付いた。
「テラの様子を見て来てくれ。テラに一言伝えてくれ」
些細な言葉が大事な時がある。気が付いた時にはもう遅かった。足の速いソウに今から追い付いて言伝するなど、疲れてやせ細った自分には到底無理なことだった。
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仕上げの火入れをした剣を水につける。
「ジュッ」
良い音がした。水から引き出すと外に出て日の光に照らしてみる。不純物など全くない、、中々の出来だ。後は研ぎさえ終われば、それなりに使える剣にはなりそうだ。謹造剣と比べてみても、見た目だけは遜色ない出来となっていた。
欠けない、折れない、曲がらない
大陸の鉄炉でクレからもらった、時の王に納めるのと同等の謹造剣を目指して、僕とケンはあれこれ知恵を絞ってきた。形ができてからの火入れを工夫したりして、それなりに丈夫で美しい形にはなるものの、謹造剣と打ち合わせてみれば、違いははっきりとしていた。
欠ける、折れる、曲がる
謹造剣とは、どうにもたどり着けない大きな隔たりがあることは明白だった。万策尽きた。二人の間には、言葉にならない思いが流れていた。
「リョウ、ケン、戻ったよ」
ふいに、ソウの声が響いた。彼の口から白く繰り返し吐き出される息が、急いで戻って来たことを告げていた。
「どうしたのだ?久しぶりに村に戻ったのだから、ゆっくりしてくれば…」
言いかけたところに、ソウの言葉が被った。
「テラが隣村に嫁ぐことが決まった。雪解け後、すぐにだ」
頭を殴られたような衝撃に息が止まり、膝が崩れた。ソウの視線が僕を射抜き、ケンがこちらを振り返るのだけが、かろうじて視界の中で形となっていた。周囲を包む雪の白が、灰色になり、そして、黒へと移っていった。手にしていた謹造剣を見る。手の震えが伝わって、剣が揺れている。
「こ、こんな物があるから」
ただ、走り出さずにはいられなかった。雪に足を獲られながらも走る。目の前にあらわれた木の枝に剣を打ち付ける。枝はばっさりと切れ落ちた。
「うわー!」
走り回りながら、僕は、目に入る全ての物に剣を切り付けた。枝も、幹も、竹も、一瞬の後、崩折れていく。こんな破壊しかもたらさない物の為に何年も足止めを食っている。そのことに腹が立って仕方がなかった。切って切って切りまくった。その度に雪が音を立てて崩れ落ちる。全身雪まみれになりながら、尚も僕は走り、切った。
「キーンッ」
甲高い音がした。雪の塊に向かって振り下ろした腕は、大きな衝撃にしびれを感じていた。折れた剣が、くるくる回りながら飛んでいくのがわかった。雪に埋もれた大岩に、僕は力一杯剣を振り下ろしていたのだった。
「サク」
剣が雪に突き刺さる音だった。振り返ると、ケンとソウがこちらに向かってゆっくり歩いて来るのが目に入った。折れた剣の切先は、ちょうど僕とケンの間に、雪の中で真直ぐに立っていた。ケンが切先を拾い上げた。手を切らないように注意しながら折れた剣の切先を眺め回す。その内に、静かだったケンの眼に、子供が玩具を見る時のような好奇の光が宿るのがわかった。
「リョウ、良くやった」
ケンの言葉に僕は何のことか理解できず、呆然とするしかなかった。歩み寄って来るケン。その頬には、長く見ることのできなかった笑みが浮かんでいた。ケンは、切先を僕に渡した。
「見てご覧。折れ口から層が見えるだろう」
ケンは僕の手元を覗き込むようにして言った。僕は手元に目を近づけた。芯になる棒鉄の周りを包むように、幾重にも鉄を折りたたんで鍛えてあるのがわかる。そして、内側と切り口に当る部分とで、鉄の質に変化があるのが見て取れた。欠けない、折れない、曲がらない理由がそこにあった。
「外側だけいくら眺め回してもだめだったのだ。大切なのは内面だ。漸くわかったよ。君のお陰だ、リョウ」
目に映ったケンの顔が、涙で霞むのを僕は止めることができなかった。
つづく
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離され島冒険記 (冒険小説)
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