尖閣諸島の物語

雑記

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尖閣諸島の物語

1919年12月、中華民国福建省の漁船が日本の南西端である尖閣諸島付近で漂流していました。当時尖閣諸島魚釣島には開拓者である古賀辰四郎氏のご子息である古賀善次郎氏率いる鰹節工場があり、多くの日本人が住んでいました。古賀氏が開拓したことで、魚釣島の居住域は古賀村と呼ばれ、最盛期は99戸248人が暮らしていたようです。彼らは福建省の漁船を救い、乗船していた方々を石垣島まで届けました。石垣村はその方々を救済して全員を無事本国に届けました。後、中華民国長崎領事から石垣村長に感謝状が届いており、その感謝状には日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承と書かれています。日本政府はこれをもって中国が尖閣諸島を日本の領土と認めていた証拠であるとしております。

これについては、「尖閣諸島で使われている魚釣島等という名称ではなく和洋島と書かれている」ことで、あたかも日本政府が嘘をついているかのように喧伝する国立大学教授もいらっしゃいます。中国では和洋とは日本の西方をいうようですので、中華民国長崎領事が尖閣諸島に含まれる名前のわからない島の事を和洋島と呼んでも不思議ではないと私は考えています。そこについては議論の必要なところではあります。

そもそも現在の中華人民共和国は1945年にできた存在であり、往時の中華民国とは関係ありません。1945年にできた組織が1895年に日本領土に編入された尖閣諸島について領土主張することそのものがおかしな話であるので、和洋島がどこを指すのかは正直言ってどうでも良い話です。

日本には日本のことを悪く言いたくて仕方がない反日本の方々が多く、しかも社会的地位が高い方々の中にも多数いらっしゃいます。自国を愛せないというのは可哀そうなことですね。

大事なことがあります。尖閣諸島の魚釣島で暮らしていた多数の日本人がいた。その人々が福建省漁船に乗っていた方々を救ったという事実は、誰にも捻じ曲げられない。日本人が持つ、困った人を救わずにいられない心根の美しさを私は誇りに思います。

さて、近隣国より日本の領土が脅かされて久しいですね。2021年アメリカ合衆国大統領になる方は「尖閣諸島を日本の領土であるとすることを軽視している」と心配する方も多くいらっしゃいます。

ここで言いたいのは、もう他国に頼るのは止めようということです。日本の領土は日本人が頑張って守っていきましょう。

国土を他国の侵略から守る為にできることを考えましょう。私にできることは何か。日本人に知られていない魚釣島にあった鰹節工場とそこで暮らす人々、そして、遭難した福建省の方々を題材に小説を書くこと。それならできるのではないか。

当時の鰹節工場では高知県から集団で女性が働きに来ていたりと、物語の題材になりそうな事情に溢れています。

もう一つの福建省の方々ですが、この時救われたのは男女合わせて31人(子供含む)と伝わっています。福建省から尖閣諸島までは300KMを超える距離があり、現在でも片道二日かかる距離です。一般的な漁業者であるならば、成人男子のみで構成されているでしょうし、仮に女性が少数混じっていたとしても、子供まで乗っているのは考えられません。となると、彼らは船の上で一生を暮らす漁民と呼ばれる人々であった可能性が高いですね。船上で暮らす人々は1960年代まで日本全国の海沿いの町にもいらっしゃいました。彼らは隼人の時代から1000年を超える時代を海上で代を重ねてきた源日本人かもしれないとする研究者すらいる存在です。面白い。

小説に書くのは、漂流から石垣島に送られるまでの短い期間ですが、色々調べて書いてみたいと考えています。実際に物語で触れることはないものの、過去から現在までの調査が必要なのです。いつから連載するという約束はできませんが、楽しみにしていただけたら幸いです。

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