PROJECT BABEL a-4

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ブザーが鳴った。間もなくカーゴが上がって来る。既に吊り上げ用テザーが1本、ここ2号エレベータを通り過ぎて1号エレベータに送られていた。睡眠は2時間程度を小刻みにとっているに過ぎない。アローンは疲れ切っていた。だが、今度こそ出迎えなければならない大切な荷が届くのだ。アローンは地球に向かって開けられた大きな穴を覗き込んでカーゴの到着を待った。微かに見えた。憂鬱な気分でアローンはレバーを手前に引いて徐々に減速させていく。この辺りの操作は今のところ手動なのだ。うなりを上げていた昇降装置の音が止み、カーゴが定位置に着いた。わずかな時間を経て、中からカーゴの扉が開いた。

「よ、久しぶり」

霜で完全に塞がれたヘルメットの中からバタオネの人懐っこい声が聞こえた。アローンはほっとして一息ついた。

「寒かっただろう。バタオネ、お前ここが地元だったよな?」

アローンはねぎらいの言葉をかけつつ問いを発した。

「ああ、地元と言ってもイリアンジャヤでなくてフローレンス島だけどな。まあアメリカから来たお前から見れば、地元と言っていいだろうよ」

話しながらバタオネは笑った。

「熱帯地方出身の奴が、エベレストの何十倍もの標高の寒さに耐えられるとは思っていなかったよ」

「ああ、寒いには寒かったが考えないようにしていたんだ。俺の祖先は日本軍と共に戦ってオランダからの独立戦争を生き延びてきたんだが、口癖だったのが『なるようになる』だったのさ」

アローンの問いにバタオネはそう返事をした。

「何よりこの暖房器のお陰で助かったよ。ヨーコはアンカとかコタツって言っていたな。なんて意味なんだい?」

カーゴの中にアローンを手招きしながらバタオネは言った。

「さあ、日本語だろう?中間設備にいるアキラにでも聞いてくれ。だが、これはアンカーとして使う物だよな。何故、こんなに暖かいんだろう?」

「何故だろうな。お前達Aチームが出発してしばらくしたら、日本やフランスから続々運ばれて来るようになったんだ。Cチーム以下の奴らは、今はこの筒の搬入でてんてこ舞いだよ」

バタオネの説明を軽く聞き流して、アローンは狭いカーゴの中に入った。灰色の筒状の物体が一つ固定されていた。幅40cm高さ130cm、重さは約500kgだという。このカーゴに乗せられる荷物は1トンとわずかなものだ。現在のエレベータ用テザーの強度ではあまり重いものは引き揚げられないため1回にひとつずつの運搬となる。大量輸送できないのは、せっかく宇宙にいる身としてはもどかしい。

「何も宇宙にビルを建てようってんじゃないんだ。当面1トンで充分なんだよ」

デイヴィッドがそう言う以上、納得するしかない。

「さて、あっちのカーゴに移動だ。手伝ってくれ」

アローンはバタオネに声をかけた。

「あれ?ボビーとバースはどうした?先に行ったのか?」

カーゴの中に入って来てバタオネが言う。

「話しは後だ。そちらを持ってくれ」

筒から固定ベルトを外しながらアローンは言った。宇宙なので重さは気にならないものの、周囲にぶつけて設備や筒そのものを壊してしまっては元も子もない。二人は慎重に筒を持ち上げた。

軽く持ち上げてゆっくり扉から出す。地球から見て上にある1号エレベータとつながるテザーには既にカーゴが設置されている。そこに運ぶだけと言えばそれまでなのだが、無重力のこの場所で、物体をコントロールするのは難しい。特にバタオネは宇宙に来たばかりなのだ。慎重に慎重を重ねての移動となった。予め扉を開いておいたカーゴに筒を入れてベルトで固定する。それだけのことに10分を要してしまった。

「さて、このアンカ(暖房器)がアンカー(碇)になるんだな」

バタオネが洒落を言ったが、アローンは笑う気にはなれなかった。

一号エレベータが定位置に到着してすぐ、設備が徐々に落下していることがわかった。急遽、会議が行われて、アンカー設置が決まった。静止高度である標高36,000kmを超える地点にある設備は全て地上から離れる方向への力を有する。1号エレベータの先にある程度の重さのものを増設することで、設備全体の落下を抑えようという方策だった。テザーで繋いだ後に宇宙空間に放つだけとはいえ、地球落下を防ぎ、エレベータを宇宙に固定するアンカーの役割を持たすことができるのだ。ただし、引張り重量が増えるということは吊り上げテザーへの負担を増やすことにもなる。そのため、1号と中間設備、そして2号エレベータを繋ぐテザーの増強も併せて決められた。作業工程の中に休日などは考慮されていなかったが、自らのいる設備落下を防ぐための仕事である。アシュケナージ、アキラ、アローンの三人とも、工程に異論を挟む気持ちの余裕はなかった。この設備増強作業に合わせて、作業する人間の増員も伝えられることとなった。

「Bチームが行く。仲良くしてくれよ」

「了解、弁当を忘れるなと伝えてくれ」

デイヴィッドの言葉に答えたのはアシュケナージだった。日本語の「弁当」は、宇宙エレベータにおいて食事パックを指す用語としてすっかり定着したのだった。

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「アシュケナージ、アキラ。今からエレベータを動かすぞ」

1号エレベータと中間設備にいる二人に無線で声をかける。

「了解」

少しの間を置いて返事が返ってきた。筒と一緒に上がって来た弁当の内アシュケナージとアキラの分をカーゴに入れて、アローンは昇降機のレバーを押した。低い唸りを上げて昇降機が動き出した。

「しかし、今回の増設工事で宇宙への荷物の運搬がかなり遅れるよな。費用が嵩むはずだけど、運営は大丈夫なのか?」

アローンはバタオネに訊ねた。

「予算が潤沢だから大丈夫みたいだぜ。そもそも2、3回は失敗すると思っていたのをテザー接続までAチームが一発で成功させちまった。それだけで相当な余裕ができたようだ。それに筒、つまりアンカーを運搬することそのものが収入になるとデイヴィッドが言っていたよ。なんでも今回の一つだけで5万ドルになるそうだ」

「5万ドル!」

バタオネの言う意味が全く理解できず、アローンは首を傾げた。

「さっきの話だけど、ボビーとバースが先に上がって来たはずなんだけど…」

バタオネが改めて尋ねてきた。

「言いにくいんだが、ボビーは凍死、バースは錯乱していたから、二人とも地上に降りてもらったんだ」

「え?それは本当か?」

「ああ。つまりBチームで残っているのはお前だけなんだよ。それにバースを降ろすのに暖房用としてアンカーを一緒に降ろすと言ったらデイヴィッドが難色を示したんだ」

「本当かよ?」

「ああ、暖房がなければ確実に死ぬぞと言ったらなんていったと思う?」

「なんて言ったんだよ?」

「『いっそ二人ともあの世に行ってくれれば、アンカーを降ろさなくても済んだのだが』だとさ。1個5万ドルと聞いてやっと意味がわかったよ」

バタオネの顔色が変わった。二人はそれ以上言葉を交わすことができなかった。

 

続く

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