草原のチャド1-4.蜃気楼

草原のチャド

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目の前に迫った猛獣が急に足を踏ん張って速度を落とし、低く唸ったかと思うと完全に立ち止まった。岩の下で行ったり来たりしてこちらの隙をうかがっている。

「う、う…、う…」

あまりの恐怖に歯がカタカタ鳴った。それでもチャドは猛獣から片時も目を離さず、見つめ続けた。

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しばらくこちらを見ていたかと思うと、猛獣はなぜかくるっと向きを変えもと来た方に歩いて行った。チャドはほっと息をついた。訳が分からなかった。猛獣はなぜ自分を食べるのを止めたのか。チャドは、自分の身体や立っている岩を端々まで見つめて考えた。そして、目の前に広がる草原に目を向けハッとした。ほんの少しだけいつもより遠くまで見える気がしたのだ。立ち上がることによって、自分にとっても相手にとっても見え方が変わることにチャドは気がついたのだった。

『もしかして、岩の上に立ち上がったことで自分のことがとても大きく見えたのだろうか?』

以前仲間から聞いた大きな動物の話しを思い出したのだ。

チャドのその考えは当たっていた。岩の上に寝そべっていたときは小さく弱そうにしか見えなかったチャドが、岩の上に立った途端に猛獣を怯ませるほど大きく見えたのだった。

この時の経験はチャドに注意力と用心深さを身につけさせた。間違っても身を隠すことのできない場所で気を抜いてはいけない。それに加えて、どんな相手に対しても最後まで諦めない勇気の大事さもよくわかったのだった。色々な経験を積み上げつつ、チャドは成長していった。そして、それからもチャドは時々森の端っこに出かけて行くのだった。

それはある昼下がりのことだった。森の端っこに行く途中で、チャドは土砂降りの雨に見舞われたのだ。いつもならそんな大雨の時は住処でじっとしているのだったが、この時はあと少しで森の端っこに着くところだった。

「そのうち止むさ」

いつもの岩に着いた時にはチャドはずぶぬれたった。大きな雨雲が、視界全体に広がり、雷鳴が轟いた。しかし、流れる雨に滑らないように注意しながら岩の上に上がった途端、雨は突然やんだ。雲間から太陽の光が強烈に差し始めた。チャドは雨が止んだことにほっとしていたが、今度はあまりの暑さと地面から立ち昇る陽炎に圧倒された。まぶしい日差しを手でさえぎろうとしたその時だった。地面の先のそのまた先、空が始まる境目にこれまで見たことのない光景が広がった。大きな大きな水たまりが揺らめきながら中空に浮かんでいた。水面に太陽の光が反射してキラキラ輝いているのがわかった。

それは蜃気楼だった。

チャドは生まれて初めて湖を目にしていた。あまりの大きさにただ圧倒された。眼前に浮かぶ景色はどんどん広がっていき、徐々に形がはっきりしてきた。水辺を囲むようにナツメヤシらしき木が無数に並んでいる。そのヤシの葉の緑のみずみずしいことといったらなかった。普段チャドが草原や森で見かける赤茶色の混じるナツメヤシの葉とは、まるで違っていた。ナツメヤシは甘い実のなるヤシの木だ。チャドの行動している辺りでも生えているが、色々な動物の取り合いになってしまうため、実を食べられるのはまれだ。母親から与えられて初めて口にした時のあの甘さは忘れられない。草原にもちらほら生えているのが見られるが、木陰には猛獣が待ち構えているのが常なので実を取りに行ったことはこれまでなかった。

眼前に浮かぶ湖の大きさと美しさ、そして食べきれないほどのナツメヤシ。素晴らしい光景にチャドは我を忘れてとぼとぼと進み出した。草をかき分けて、時折石に足を取られながら進む。チャドは夢中になって歩いた。徐々に草は少なくなり、まばらになっていった。そのうちに地面には草がほとんどなくなり、赤茶けた土と石だけになった。尖った小石が足の裏をちくりとさす。痛みを感じながらもチャドは湖を目指して真直ぐ歩んでいった。

蜃気楼は遠くの景色をまるですぐそこにあるように見せていた。いつも見ている草原のほんのすぐ先に湖とナツメヤシの茂る素晴らしい場所があるとチャドはかんちがいしていたのだった。

(続く)

絶対絶命

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独り立ち

物語の始めから読みたい方はこちらをどうぞ。

物語のはじまりから読むー「誕生」

蜃気楼

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