草原のチャド1-5.絶対絶命

草原のチャド

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蜃気楼は遠くの景色をまるですぐそこにあるように見せていた。いつも見ている草原のほんのすぐ先に、湖とナツメヤシの茂る素晴らしい場所があるとチャドはかんちがいしていたのだった。

チャドは周囲を気にすることも忘れてどんどん進んだ。目の前に浮かぶ湖とナツメヤシはそれほどに魅力的だった。そして手を伸ばせば届きそうなほど近くに浮かんで見えるのだった。

「もうすぐそこだ!」

チャドの気持ちが期待に高まった。

 

ところがどういうことだろう。目の前にあるように見える湖とナツメヤシの群生なのにいくら進んでも行きつけない。湖は最初に見たままの大きさで宙に浮かんでいた。まるでチャドが進んだ分だけ後ろに下がっていくようだった。やがて足元の草はほとんどなくなり、砂と尖った石だらけの地面になった。しかし、蜃気楼の湖に夢中になっているチャドは、足元の変化に気がつかなかった。

チャドはいつの間にか、いつも寝そべって岩から見ていた草原をはるかに超えて進んでいた。周囲は赤茶色の地面と、細い棘のような部分を持つ草だけの、殺風景な景色となった。そして、それまではっきりと見えていた湖とナツメヤシが揺れながら徐々に薄れて、やがて中空から消えてしまったのだった。

チャドは茫然として立ち止まった。何がなんだかわからない。さっきまで確かに見えていた湖もナツメヤシも、もうどこにもない。

ふと、周囲を見回して、チャドは森からずいぶん離れてしまったことに気が付いた。また、今まで経験したことのない痛みを足の裏に感じた。地面に転がるたくさんの尖った石が、まるで自分を取り囲んでこの場所に閉じ込めようとしているかのようにチャドには思えた。太陽の輝きが増していく。それに伴って地面の熱がじわじわと足元から上ってくる。考えている余裕はなかった。尖った石を蹴散らしながら。チャドは森に引き返すべく一目散に駆け出した。

地面の熱が足の裏を襲う。まるで焼けるようだ。こんなに長く土の上を歩くのは初めてだった。いや、森でも草地でもないむき出しの地面を歩くことそのものが初めてのことだった。膝もだんだん痛くなってきた。

所々生えている茂みにようやくたどり着き、チャドはほっと一息ついた。草の上に座り込み、手で足の裏についた砂を払った。足の裏は真赤になっていた。ところどころ切れて血がにじんでいる。つばをつけてふうふう息を吹きかけてみたが、痛みが簡単に消えるわけはなかった。チャドは帰る方向を確かめようと周囲を見渡した。草原を眺める時に座っているいつもの大きな岩が目に入った。チャドはほっとした。見知った風景の中に自分が戻ってきたことを知って安心したのだった。とは言え、岩につくまでは、まだまだ小石交じりの地面を歩かなければならない。

「途中で休める場所がないかな?」

岩までの道のりを目でたどってみる。ところどころ草が生えている所がある。

「多少遠回りになってもできるだけ草の上を歩こう」

意を決して歩き始めたその途端、きらりと光るものが目に入った。はっとしてそちらを見るチャド。少し離れた茂みの中に鋭く光る丸いものが二つ見えた。それは猛獣の目に違いなかった。目を凝らすと猛獣の輪郭が次第にはっきり見て取れるようになった。茂みに隠れてた猛獣にチャドはようやく気がついたのだった。白くて長い牙が上あごから伸びている。その口元は少し開かれて、呼吸のために上下する顎からよだれらしきものが滴っていた。チャドと目があったその猛獣は、襲いかかる前にチャドに姿を見られたことを多少不満に思っているようだった。とはいえ、森の端にある大岩までの距離を考えればどうみても不利なのはチャドの方だった。チャド、猛獣、双方が同じ考えに至った。猛獣の前足が茂みから出て赤土を踏みしめるのが見て取れた。それ以上考えている余裕は今のチャドにはなかった。

足の痛むのも忘れてチャドは大岩に向かって走り出した。同時に猛獣の方もチャドへの攻撃態勢に入った。急ぐチャド。猛獣は、チャドに比べると大岩からやや離れた茂みにいたのだったが、それでもチャドとの距離は一気に縮まった。方や毎日のように獲物を追いかけて草原を駆ける猛獣。対してチャドは走ることそのものがめったになく、しかも既に足を痛めていた。懸命に逃げるチャド。猛獣の足音が後ろから迫ってくるのがわかる。チャドは猛獣を追い払うように腕を大きく振った。不思議と少しだけ早くなった気がした。しかし、そんな気分もつかの間、猛獣の荒い息の音が背後からはっきり聞こえた。

「もう無理だ!」

諦めかけたその時、大岩がすぐ目の前にあることにチャドは気が付いた。希望が見えてチャドの足が軽くなった。だが、耳に入る猛獣の息の音は、背中のすぐ後ろに猛獣が迫っていることをはっきり示していた。チャドは思いっきり高く足をあげ、大岩に手を伸ばした。行かせまいと飛びかかる猛獣!

と、その時、慣れない動きに岩についたはずのチャドの足が空を蹴った。もう片足も地面をとらえらえずに空転した。つんのめって地面に倒れ込むチャド。顔が砂に突込み何も見えなくなった。

「終わった」

チャドは猛獣に食われる痛みを覚悟して身体を固くした。

(つづく)

激突

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蜃気楼

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物語のはじまりから読むー「誕生」

絶対絶命

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