棚田の恋1-2.棚田

棚田の恋

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棚田と言えば日本海側の、米の生産地として有名な地域に残っているくらいのものだと思っていた。

「こんな場所に棚田があるのだな」

普段生活している場所からほんの少し足を延ばすだけで、旅行で訪ねるような凄い風景に出会えたことに良太は驚いていた。一応観光スポットなのか、駐車場とトイレが設置されているのがありがたい。最近の日帰り旅行人気のおかげか、行く先々で用足しできる施設があって助かる。実際に出先で困った経験のある良太にとっては、二度、三度と訪れる理由付けの一つとしてトイレは重要な項目なのだった。

 

よく見ると、カメラで撮影している人も何人かいる。敷地に入っても良さそうだと判断して、良太は棚田に向かった。人々の賑わいに良太の足は自然と吸い寄せられた。色とりどりの日よけ布のついた麦わら帽子をかむった女性たちが立ち話をしている。女性が一人、話の輪に加わるべく良太の脇をすり抜けていった。良太は声をかけた。

「中に入って写真撮っても良いですか?」

女性は振り返り、どうぞと返事を返した。

「田んぼの中には入らないでね。ぬかるんでいる所もあるから。あと、畦にたまに蛇がいるから気をつけてね」

軽く会釈をして離れて行く女性から、良太は目を畦道に戻した。

「蛇ね」

これだけ人が歩いているのだから、大丈夫だと判断して棚田に足を踏み入れた。中央の一番太い畦道を選ぶ。段々も無く、上まで続いている。草もきれいに刈られていて歩きやすそうだと判断した。進んでみると見た目以上に坂が急で、普段運動をしない良太の息はすぐ上がった。近くから棚田を見ると色々細かい所に気がついた。中央の畦の両側には水が流れていて、心地よい水の音がする。そこから横に伸びる水路には水が行かないように既に閉ざされているのがわかった。田んぼを乾かして稲刈りをしやすくしているのだろう。そんなことは普段必要としない知識であるものの、自然と気がつくことは頭にすんなり入っていくから不思議だ。小旅行毎に覚えるこの感覚の心地よさに良太はしばし身を委ねた。視線を横に向けると年配の男性二人が稲を刈っているのが目に入った。

「鎌で稲を刈るなんて子供の頃でも見たこと無かったな」

子供の頃は良太の家の周りには田んぼがあったが、ある時、全部住宅地に代わってしまった。学校には友人が増えたが、冬の田んぼで駆け回る楽しみは、子供の遊びからすっかり姿を消してしまった。そんなわけで、小学校を卒業する年には農作業を見ることも無くなっていたのだった。面白い被写体を見つけて良太は足を向けた。横道の畦は草ぼうぼうだったが、気にせず進んで行くと一人の男性が顔を上げた。

「草ぼうぼうのところは蛇が潜んでいるかもしれなから気を付けてくださいね」

稲刈りで大変なのだろう。笑顔を伴った顔に大粒の汗が伝っていく。

「写真撮らせていただけますか?」

良太は尋ねた。

「いいですよ」

二人の男性は稲に目を戻して答えてくれた。良太はリュックサックからカメラを出して構えた。わずかな風に揺れる稲穂が見ていて心地よい。ファインダーを覗いて初めて、レンズの向こうに見える画像が普段よりくっきり輝いていることに気がついた。

「空気が澄んでいるのだな」

良太は足先で草むらに蛇がいないかどうか確かめた。安心するとしゃがんで、稲をお刈る二人にファインダーを向けた。そして時間をかけてゆっくりとシャッターを切った。ふと振り返ると、駅に来てすぐ気がついた石灰の山の全貌が目に入った。ちょうど太陽が山の真上に位置していた。まぶしい。棚田と山、素晴らしい被写体に良太の心は踊った。

その日、良太はその棚田を歩き回りながら写真を撮り続けた。作業をしている人何人かと話をして、その棚田では希望者が参加できる米栽培教室が毎年開かれていることも知った。

午後3時を回った頃だった。人力で稲刈りをしていた男性が良太に声をかけてきた。

「まだここにいるなら、少し手伝ってくれないかな?」

話を聞いてみると、小型の稲刈り機がうまく動かず仕方なく手で刈っているとのことだった。このままだと日が暮れるまでに間に合わないから手を貸してほしいと男性は言った。良太は二つ返事で引き受けた。履いているスニーカーを恐る恐る田んぼに降ろしてみた。思いのほか固い地面で沈む心配は無さそうだ。

「こんな体験ができるチャンスは滅多にない」

そう思ってやり始めたものの、実際に稲を刈ってみると足腰にかなりの負担があった。左で持てる分だけ稲を刈り、一杯になったら一本の稲で縛って男性に渡す。その作業の繰り返しだった。良太から稲を受け取った男性は女子高生のツインテールのように稲を二つに分けると、予め用意してあった稲架(はさ)という木組みに掛けていく。

「この作業を年配の男性二人でやり切るのは確かにしんどいよな」

良太はそう思った。良太が入って三人作業になったおかげで、作業はその後小一時間で終わった。

「ありがとう、助かったよ」

畦に座って休んでいると男性のうち一人が声をかけてくれた。手にしていた水のペットボトルを良太にくれた。そしてなんと、今日採れたお米をお礼に送ってくれると言う。嬉しい申し出に感謝して良太はその男性に連絡先を伝えた。

「ここの米は朝から日暮れまで日が当たって、その上、新鮮な水がいつも流れているから上手いよ。楽しみにしていると良い」

にこにこ笑いながら男性は離れて行った。予想外の労働に足腰が傷んだものの、気分は悪くなかった。最後に一枚全景写真を撮って、良太は棚田を後にした。

(つづく)

贈り物

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週末

棚田

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