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米農家を首になったものの、良太は東京には帰らなかった。ここまで来たのだから、田んぼで米を作りたい。その思いが良太の心を占めていたのだった。
良太は工場での仕事を見つけて働きだした。正直言うと、工場勤務とは言え田舎の給料は東京で暮らしていた頃の半分にも満たなかった。しかもバスや電車があまり走っておらず料金も高いので、車に頼らざるをえない。車の維持費と燃料代という、東京では必要の無かった出費が生活を圧迫した。食べる物についても気楽には行かなかった。外食するならば都会に比べて安いものの、スーパーに並ぶ食材は東京の下町に比べるとやや高く感じた。買い物できる場所がそもそも少ないため、競争原理が働かないのかなと良太はため息をついた。
差し迫った生活の心配がなくなったので、良太は農業についての学習を再開した。作物の基本をきちっと学びたいと、時間を見つけては本を読み漁った。その上で、一年体験をしただけの米作りを一から学ぼうと、県が主催する一般向け農業体験などに積極的に参加した。行く先々で知り合った人達と良太は話をした。それが縁で田植えの手伝いを頼まれたりと、米作りからつかず離れずの生活を送り続けていた。そんな生活の中で、良太の気持ちは最初の頃の思いに戻り、固まっていった。それは「上手い米を作る」ということだった。そのために良太が目指すこと。それは「朝から夕方までまるっと日光を浴びることのできる南斜面の棚田で、綺麗な水で米を作る」という、やはり最初に直感した方法だった。そのこと一点に良太の思いは集約されていった。
調べてみると田舎の山は安いということがわかった。
「いっそのこと山を買って、自分で一から棚田を造るか」
良太はそんなことも考えた。ここには障害があった。どうも新しく田んぼを造ることは法律で制限されているらしいのだ。しかも余所者の良太に山を売ってくれる人などここにはいなかった。その上、野生動物に人が襲われて、毎年何人もの人が亡くなっているという田舎ならではの事情もある。危険すぎて山奥でこっそり田んぼ造りとはいかないのだ。そうなると、人里近い山で元々ある田んぼを手に入れるしかない。これはとても難しい問題だった。
行き詰まりを感じて良太は悶えていた。今この時にやれることがないということ。若い良太にとって辛い時間が流れていた。
結局良太は、一旦別のことを考えることにした。綺麗な水について考え始めたのだ。綺麗な水って何だろう。天然の湧き水でさえあれば綺麗だと感じるのは日本人だけの感覚だと気が付いた。湧き水に毒素が混じっているところなどは世界中に沢山あるのだった。もちろん日本でも鉱山から流れ出る水で汚染が広まるということが昔はあった。良太は教科書で習った足尾銅山鉱毒事件を思い出した。誰もが一目で綺麗な水だとわかる何か。良太が思いついたのが蛍だった。
「夏になると蛍の舞う棚田」
良太が目指す米作りが決まった。
調べてみると、蛍の幼虫を販売している業者が見つかった。良太は水槽を買って、部屋で蛍を飼い始めた。蛍を飼うということは餌となるカワニナという巻貝やヒメタニシの飼育をするということでもあった。良太は自然と、田んぼや水路に生息する生き物に詳しくなっていった。夏、電灯の消えた部屋ですっと流れる蛍の光を寝転んで眺めるのが、良太にとっての気休めとなった。いつの日か棚田を手に入れるのだとの思いが蛍の光となって舞い踊っているようだった。
毎日の仕事が終わって一息つくと、時々良太は自転車で本屋に通った。燃料費のかかる車は通勤時だけにして、普段の生活ではなるべく自転車で用を済ますようにしていたのだ。毎月読んでいる野菜栽培の雑誌を手に取って眺めている時だった。
「良太さん?」
後ろから声がかかった。振り返るとそこには陽子さんがいた。田んぼの雑草取りで知り合い、初めて顔を見たのが別れの日という農業県らしい出会いから既に2年が過ぎていた。
(つづく)
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活路
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