棚田の恋2-4.作業開始

棚田の恋

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毎週、休みの日が来ると良太は棚田のある山に足を運んだ。最初に手を付けたのは水路だった。いずれ田んぼそのものに手をかけなければならないものの、先ずは水路だと良太は考えた。田んぼの整備で最も手間がかかるのは田んぼの水漏れを防ぐための畦塗りだ。見た限り、ずいぶん長くほったらかしにされた田んぼなので、いずれ全ての畦に手をいれなければならないのは間違いない。その中でも目に見えない穴を塞ぐには、一旦田んぼに水を入れて水が漏れる場所を特定する必要がある。そして、畦塗りに使う泥は田んぼの土なのだ。田んぼの土を畦塗りできるまでにドロドロにするには、やはり田んぼに水を入れるしかない。結論として、遠回りではあっても水路から手をつけるしかないのだ。

その水路の整備は良太の想像を超えて重労働だった。そもそも平地の水路ですら、一年経つと相当な量のごみや泥が貯まるのだ。それが山の水路となると貯まるものは山肌を落ちてくる岩、土、枯れ葉、そして、風に飛ばされてやってくる一般ごみと、取り除かなければならない物は平地の数倍に及ぶのだった。初日の良太は先端が平になった角型のスコップをもって山にやってきた。水路の壁面にこびりついた汚れを落とすには通称角スコと呼ばれる型のスコップが最適だからだ。ところが、実際の水路は壁面に泥がついているどころではなく、水路そのものがほぼ完全に埋まっていたのだった。前回来た時は暗闇でそこまで見えなかった。結局初日は水源の場所を確認する程度で一日が終わってしまったのだった。

「これは腰を据えてやらないと何年たっても米作りなんて夢の夢だぞ」

ホームセンターで先の尖った丈夫そうな剣スコを選びながら、良太は先を思いやってため息をついた。

平地の田んぼであれば多くの農家が水路を使う。年一回の掃除を多くの人間で手分けしてできるのだ。ここ、山の棚田を使うのは良太一人だ。水源から数百メートルに及ぶ水路の整備をたった一人でやらなければならない。良太は気持ちを新たに水路に向き合った。一番奥にある水源は山の壁面から染み出すわずかな水の滴りだった。水路の入り口に貯まっていた腐った枯れ葉を取り除き、わずかな水を引き入れる。最初は泥で濁っていた水が、時間が経つに従って徐々に澄んでいく。良太は水に手をつけてみた。冷たい。山の新鮮な水だ。

「うん、ここでカワニナとヒメタニシが生きていければ、いずれ蛍の飼育もできるかもしれない。田んぼや水路に棲むのは平家蛍だったな」

辛くなってくると、良太は家で飼っている蛍がこの棚田で乱舞する光景を思い浮かべるのだった。

 

田んぼまで水を引ければそれで良いというものではない。田んぼには水を入れ続けるのではないからだ。水路の水を引き込みちょうど良い量となったら、一旦水口を閉ざして太陽の光で水を温めなければならない。そうでないと稲が常に流れる水で冷やされることになり、生育が著しく遅れてしまう。そうやっている間も水路の水は常に流れる続ける。その水が流れていく場所が必要なのであった。田んぼに入れない水はもちろん、田んぼを干上がらせる時に抜いた水を流す必要もある。棚田まで行き着いた後も、下を流れる小川までの長い道のりを良太の水路整備は続くのだった。

時折、陽子が飲み物と簡単なお弁当を携えてやってきた。

『私の婚約者ってことで。文句ないでしょう?』

その度に良太は除草隊の親方の前で陽子が言い放った言葉を思い出し、そわそわするのだった。その後、陽子は何も言ってこない。本当はどう考えているのか、気になってしかたが無いものの、いざ面と向かうと良太は陽子の目を真直ぐ見ることもできなかった。余所見をしながら作業の進み具合や蛍についての思いを話すに止まるのだった。

「親方、何か言ってる?」

何度目かの時に、良太は陽子に親方の様子を尋ねた。

「ん、別に何も」

陽子の返事は素気なかった。

「お母さんは応援してくれてるわよ」

続けて陽子が言う。

「ふーん」

何を応援してくれているのだろうか。田んぼのこと、それとも…。良太は一番訊きたいことを口に出すことができなかった。

(つづく)

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