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除草作業は田んぼの中干しまで続いた。
稲は種まきから2か月ほど経つと、田んぼにしっかり根を張って、ちょっとやそっとでは倒れなくなる。雑草を抜く時に稲の周囲の土が多少掘り返されても根がしっかりしているから弱ることがなくなるのだ。そこから中干しまでの2週間ほどが除草期間となる。中干しは田んぼの水を一旦抜くことをいう。田んぼもずっと水が張りっ放しだと水中で肥料分などの一部が腐るなどして、硫化水素やメタンガスが発生し出す。そのような有毒ガスの発生を抑えると共に、土地に酸素を供給して根腐れを防ぐ。そして、水に溶けだした肥料分を摂取し続けて稲が必要以上に分げつ(根元から新しい茎が出ること、20本程度が良いとされている)するのを押さえる。以上のように、田んぼから一旦水を抜くことは稲にとってで3つの良い効果がある。中干で土が半渇きの時に除草すれば、今度は根が切れたり直接空気にさらされたりして稲にとって具合が悪い。つまり田んぼの除草作業は中干しまでが勝負なのだった。
除草作業に来る人々を良太は除草隊の皆さんと呼んだ。毎日お昼を除草隊と一緒に食べていたので、良太はおしゃべりな女性陣から幾多の質問を受けた。
「なして、ここさ来たの?(どうしてここに来たの?)」
「米農家さ、継ぐだか?(元々米農家の息子で、将来家業を継ぐために修行しているのか?)」
「どこさ、住んでるの?(どこに住んでいるの?)」
「結婚してるだか?(結婚しているのですか?)」
最後の質問はいつも決まっていた。
「誰か良い人いないの?(付き合っている人はいないのか?)」
良太は棚田との出会いから、旨い米作りへの思い、そして、将来自分で米を作りたい、できれば棚田で栽培してみたいと、一つ一つ丁寧に話をした。除草作業は中腰の時間が多く体力的に相当きつい作業だ。そのため午前中は10時から、午後は3時から20分程度の休憩を取る。お昼休みと合わせて1時間40分程度の休み時間を毎日お喋りするわけなので、質問は限りなく続いた。ただ、除草隊の親方と奥さん、そして陽子さんだけは、質問らしい質問もせず、いつも良太と女性陣の会話を聞くだけ聞いている感じだった。
一度だけ親方が口をはさんだことがある。それは良太が朝日から夕陽までまるっと日の光を浴びることの出来る棚田を手に入れたいと話した時だった。
「いねーな」
急に親方が言った。
「余所者に田んぼ売る奴はいねー。貸すことさえねえもの。そもそも棚田なんて面倒なところで米さ作る奴なんて、この辺りにはいるわけねえ(他所から来た人間に田んぼを売る人などいない。貸すことさえない。棚田などのように手間のかかる所で米栽培を続けている人など、この辺りにいるはずがない)」
思いのほか大きな親方の声に全員が一斉に黙り込んだ。田舎では親方への口答えはご法度だと、数か月の暮らしで良太は学んでいた。この反応は当然のことだった。この辺りは耕作放棄地だらけだ。車で彼らを送り迎えする時も、時々、流れゆく景色の中で、草でぼうぼうになった田んぼを見て来た。一度荒れたら農地を回復するのは簡単ではない。数年で雑木だらけになることすらある。そうなれば新たに開墾するのと変わらないほどの労力がいる。通常であれば借りたい人がいれば貸して、耕してもらった方が合理的なのだ。だが、余所者に貸していい加減な事をされたり、途中で放り出されたり、はたまた、だまされて権利を取られるのではないかという猜疑心が田舎の人々にはあるようだった。
「まあ米作りの勉強しながらゆっくり探しますよ」
良太はそう答えた。
除草最後の日となった。作業終了後に打ち上げをやるからと、今日は親方他数台の車で皆が現れた。いつものように作業を始め、いつものようにジュースを飲み、お昼を食べる。稲の色は苗の頃の黄緑色から、しっかりとした緑に代わっていた。
夕方になり作業が終了した。除草作業の給金を手渡しに良太の親方がやってきた。この時ばかりは普段外すことの無いほおっかむりを皆が取って、素顔をさらした。ほとんどが良太の母親位の年頃か、それ以上だった。ちょうど目の前に立っていた女性も他の皆と同じく口元を覆っていた日よけを外した。肩より少し長めの髪がふわりと揺れた。良太と同じか少し年下くらいの年若い女性が真直ぐな姿勢で親方に近寄り、給金を受け取った。そして良太の方を振り返って言った。
「良太さん、お世話になりました」
微かに首を傾げほほ笑んだその顔に、良太はぽかーんとして返事さえできなかった。
「陽子、車さ乗れ!」
親方の声がかかった。
「はーい」
陽子は返事をすると小走りに走っていき、車に乗り込んだ。
走り出す車が見えなくなるまで良太はその場に立ち尽くしていた。
(つづく)
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除草隊
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