棚田の恋2-6.台風来る

棚田の恋

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手植えの稲も青々と生長して、不揃いだった並びも目立たなくなってきた。田植え以後も何度か畦に穴が開いた。その度に良太は田んぼの水を一旦抜いた上で、穴を埋める作業を繰り返した。田んぼの表面が乾いてしまうと稲の生育に悪影響が出る。穴の修復作業は常に時間との闘いだった。陽子のお祖父さんが亡くなってから数年間、棚田は使われずにいた。その間に地力が回復したのか、稲の生育は悪くない。数年間水が入っていなかったために、雑草は水生のものより乾土のものが多く、水が入っていることで伸びは抑えられていた。とは言えホタルイなどの田んぼでよく見かける雑草が生え始めていた。田植え後の稲の根付きを待って、良太は除草作業に入った。朝一は田んぼ用の足袋を履いて田の中の除草。腰が辛くなると足袋を脱いで刈り払い機による畦の除草と、身体が辛くなる度に違う作業に切り替えて何とか凌いでいた。畦の除草に対して、除草剤を使うようにアドバイスしてくれる知人もいたものの、そもそも畦の強度を保つのに雑草の根は欠かせないと良太は考えていた。過去に除草剤を使った畦の土が、田んぼに溶けだしてしまうのを目にしてきたからだった。例え手間はあっても刈り払い機でこまめに除草する方法を良太は選ぶのだった。小さな棚田の除草は先が見えやすい。

『あそこまでやったら休もう』

というあそこまでがすぐなのだ。以前、陽子達親子と知り合うきっかけとなった1ヘクタールもの広い田んぼからすると、終わりが見える分だけ精神的にずいぶん楽だと感じた。一枚が小さな棚田は収穫量で言えばマイナスなものの、気分転換という意味では良い面もあるのだった。作業中、陽子が現れないかと心待ちにする良太だったが、彼女は自分家の田んぼと以前良太が勤めていた農家の除草に駆り出されてしまい、丸ひと月ほども逢えずにいた。小高い山の棚田には、週末毎に良太が操る仮払い機のエンジン音が低く長く、そして寂しげに響き渡るのだった。

大型台風が天気予報図に姿を現したのは、あと2週もすれば出穂という時期だった。

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この時期なら平地の田んぼであれば、その日一日だけ稲の頭が出る程度まで田んぼに水を溜めれば良い。水が風を防いでくれるため、それだけで稲の倒伏は防ぐことができるのだ。ところが棚田の場合はそれが難しい。平地では居並ぶ田んぼがおおよそ同じ高さにあるため、両側の田から畦にかかる水圧はほぼ均等だ。つまり畦の崩壊を両側から支える形となる。対して棚田の場合、隣の田んぼは一段下がっているため、畦にかかる水圧は一方からだけとなる。水かさを上げると畦そのものが水圧に耐えられずに崩落してしまう可能性があるのだ。悩んだ末、良太は自分が育てた稲を信じることにした。そもそも倒れやすい稲とは、化学肥料が多すぎる、肥料となる窒素分が多く背が高くなりすぎている、稲が繁茂しすぎて一本一本が弱いことが原因だ。良太の棚田は化学肥料どころか、そもそも今年については肥料散布する暇すらなかった。手植えなので稲が密になることも無い。稲については心配無用、そう結論する良太だった。さて、予め水を溜めさえしなければ畦の崩壊が無いかと言えばそうでもない。大量の雨が降れば田んぼはあっという間に水で満たされる。良太の棚田のように田んぼから抜いた水が下の田んぼに流れていくようになっていると、上の方の田んぼは大丈夫でも下の田んぼが水没することも考えられるのだった。

台風が到着するというその晩、良太は自前の軽トラックを棚田の横に停めて、田んぼを見守ることにした。翌日の仕事は休ませてもらえるように、職場にも有給申請をしていた。日暮れ後すぐに、軽トラのフロントガラスに当たる雨の粒が大きくなった。雷も鳴り始めた。暗がりの中青い光が走る度に良太は最近読んだ本を思い出していた。

『雷の電流により雨水に含まれる窒素量が通常の1.5倍になり、米が豊作になる』

稲妻、稲光など、雷の呼び名はとかく稲との関りが多い。そもそも雷とは雨と田の字が合わさったものなのだ。これが稲に良い影響を与えなくてどうする。良太は自らを奮い立たすように良い方向に考えるのだった。本当のところ、台風の時は山肌を流れる雨が濁流となる可能性もある。山崩れだって無いとは言えない。軽トラの中とは言え、良太の行動はある意味命がけだった。

良太はいざとなったらすぐさま山を下れるようにフロントを下に向けて軽トラを止めていた。午後10時、増々強くなる雨風の中、前方から来る車のライトに良太は気が付いた。陽子だった。厳重に雨合羽を着込んだ陽子は運転席の脇まで来ると窓をノックした。雨が気になったものの、良太は窓を開けた。

「お母さんが良太さんに持って行けって」

陽子はビニール袋を窓から手渡した。雨が車内に降り込んできて、瞬く間に車内はびしょ濡れになった。ちらっと袋の中を見るとお弁当らしきものと保温タイプの水筒が入っていた。

「ありがとう、お母さんによろしく伝えて」

陽子はすぐ家に戻るものと思い、良太は窓を閉めた。

「ちょっと!せっかく来たのに入れてくれないの?冷たい!」

陽子の放った非難の声に、良太は驚いて助手席側ドアの鍵を開けた。陽子は反対側に回り込んで車内に乗り込んできた。雨合羽を脱ぐ間に陽子の服はびしょ濡れになった。

「最近会わなかったから少しだけでも話そうと思ったのにさ」

「ごめんごめん。雨が凄いからすぐ帰るのかと思って」

良太は何枚か用意してあったタオルを陽子に差し出した。陽子はタオルを受け取ると濡れた髪を拭き、服についた水滴を拭った。

「良太さん、一晩中ここにいるつもりなの?」

陽子の問いに良太は頷いた。

「うん、会社には明日は休むと伝えてあるんだ。水かさが増したら稲よりも畦を守るために放水しなければならない。かといって、最初から水を抜いておくのも倒伏が心配だからね」

「ふーん」

雷の光が軽トラの車内を青く照らした。その後大きな音がして、そこで会話が途切れた。

「軽トラだとシートを倒せないよ。仮眠取れないから私の車に行こうよ」

しばらくして陽子が言った。

「それだと陽子さんが帰れないじゃないか」

良太が陽子の心配をすると、彼女はかすかに首を横に振った。

「私も朝まで付き合う」

「え?親方とお母さんが心配するよ」

良太はびっくりして陽子を見つめた。

「お母さんに話したら『あなたの好きにしなさい』って言ってた。お父さんはもうお酒飲んで寝ちゃっているし」

陽子の目は真直ぐに良太を見ていた。

「ありがとう」

良太が言った。

「あ、雨脚が弱くなった。今の内に行こう」

二人は急いで陽子の車に乗り移った。嵐はピークとなり、風が陽子の車を揺らし続けた。たまの稲光に浮かび上がる二人の姿はお互いを見つめ合うものだった。一晩中風の音が止まなかった。

(つづく)

棚田の恋2-7.最終話「蛍の光」

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