棚田の恋1-6.田舎

棚田の恋

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移住初日、日曜日だったが良太は研修先となる農家に到着の挨拶に向かった。米35ヘクタールを主体とする家族経営に近い農業法人だった。一般住宅で言えば3階建てを六つ並べた位の大きさの建物の前に立つ。良太は緊張しながら何気に服の埃を払った。トタンで覆われた真四角な建物の入り口ドアをノックする。

「おお、来たか。入れや」

返事があったのでアルミ製ドアを開く。米の乾燥機が入った建物だと以前教わっていた。

「東京から到着しましたのでとりあえずご挨拶に参りました」

開口一番親方(家長・社長)は言った。

「田んぼ耕してくれ。遅れているからよ」

雪解けが通年より遅かったので田んぼの整備が遅れていて、5月中旬から始める予定の田植えに今のままでは間に合わないとのことだった。

「大特(大型特殊自動車免許)取ったんだろ?やれるやれる」

親方は一番古そうなトラクターの所に良太を連れて行ってエンジンをかけると、簡単に操作方法の説明をした。と言ってもギアの入れ外しとロータリーの上げ下げだけだが。親方がエンジンの回転数を3,000回転に固定する。このレバーは触るなと言い渡された。エンジンの回転数を調節するレバーということは、つまりはアクセルだということだ。そしてアクセルは固定で車体を操作するのだなと良太は得心する。

「いいか、ロータリー下げたままバックしたらだめだからな。あと、大きく曲がる時もロータリーは上げれ。壊れるからな」

良太は恐る恐るトラクターの座席に座った。

「ひっくり返って首の骨折って死ぬ奴いるから無理に曲がるなや。じゃあ田んぼはこっちだからついて来いや」

親方が歩きだしたので、良太はおっかなびっくりギアをセカンドに入れた。ドンと音がしてギアが繋がり、身体全体に衝撃が伝わった。公道に乗り出す。かつて体験したことの無い振動だった。ディーゼルエンジンの音が響きわたる。田んぼの脇に着くと、水路を渡る時だけ親方が運転を代わってくれた。良太の背中は既に大量に噴きだした汗で濡れていた。

「広い」

良太は田んぼを見て呟いた。幼い頃に身の周りにあった田んぼと広さが違うのは明らかだった。田んぼは最小単位が1反(1,000㎡、20×50m)だが、大きな農家は効率よく田植えができるように田んぼを区切っている畦を取り除き、1町(10,000㎡、100×100m)にまとめていた。良太が案内された田んぼも1町の広さがあった。

「いろんな耕し方があるだども、先ずは行って帰ってで端まで耕して、最後に周りを一周して帰ってこいや」

そう言うと、親方は自身の仕事に戻って行った。

良太はトラクターを運転して最初の一往復に乗り出した。真直ぐ進むのが難しい。端まで進んで振り返ると線はぐにゃぐにゃと曲がっていた。ふと、良太は少年の頃のことを思い出した。野球の白線を引くのに遠くの目標を見ながら進むと真直ぐ引けるというものだった。曲がったままだと恥ずかしいので同じコースをとって返し、遠くに目標を置いて改めて進んでみた。今度はうまくいった。隣の列に移る。進む。先に耕したところと今度の間に、所々耕せていない部分ができてしまった。

「もう少し多めに重ねないとだめだな」

位置に着く。ロータリーを降ろす。ギアを繋ぐ。遠くを見て真直ぐ進む。端に到着するトータリーを上げる。方向転換する。バックで畦近くまで下がる。ロータリーを降ろす。進む。試行錯誤しながら、良太は田んぼを耕していった。しかし日暮れ間近まで頑張ったものの、耕し終わるには至らなく、2/3がせいぜいだった。親方が現れて田んぼを見ると言った。

「遅えな。初めてだから仕方ねえかな」

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翌月曜日は農業法人を紹介してもらったお礼を言いに県庁に挨拶行った。

「田舎は車が無いと話にならないよ」

予め言われていたので、交通手段は手に入れた格安中古の軽自動車だった。役職の偉い人に紹介されたり田舎の県に若者が移住してきたと新聞の取材が入ったりと、結局一日がかりとなった。

明け火曜日に田んぼに行くと耕耘作業は全て終わっていた。

「水口(みなぐち)綺麗にしてくれ。掃除したら水路から水を入れろよ。田んぼ全部な」

親方の言葉に水路を見ると、日曜日は空だった水路に水がとうとうと流れている。

「水口ってなんですか?」

良太は問い返した。

「田んぼの水を出し入れする所に決まってんだろう」

親方はあきれて返事を返してくる。

前年からここで働いているという敦さんを紹介されて、一緒に軽トラ(軽トラック)で一枚一枚田んぼを廻った。

「田舎では苗字で呼ぶことはまずないから名前で呼んでくれ」

軽トラを運転しながら敦さんは笑顔で声をかけてくれた。

水口を掃除して水路から水を引く作業を延々続ける。田舎の道は目標が乏しく、初めての土地に良太は方向感覚がわからなくなった。

「あ、そこはうちの田んぼじゃねえっすよ」

敦さんから声がかかる。

「敦さん、似たような田んぼばかりなのに良くわかりますね」

良太が言うと敦さんは笑いながら返事をした。

「一年やってるからね。しかし良太さん、ここの親方は人使いが荒いことで有名なのに良く来たね」

「え、そうなんですか?」

良太が驚いて返事をすると敦さんは笑いながら衝撃的な続きを話した。

「あんまり人使いが荒いから近所で雇えなくなって、仕方なく余所者雇ったって。この辺りじゃ良太さんの話題でもちきりっすよ」

「え、そうなんですか?」

良太は同じ返事しか返せないほど動揺していた。

「あはは、田植え終わったら俺も辞めるんで。良太さんあと頑張ってくださいね」

敦さんは笑いながら言い、続けてアドバイスをしてくれた。

「他所の仕事も請け負っているから田んぼは200枚くらいあるっす。全部覚えないと仕事にならないから、田植え終わるまでに憶えた方がいいっすよ」

目の前には同じような形をした千を超える田んぼが広がっていた。遠くの田んぼは霞んでいて、形すらはっきりとは見えない。良太はため息をつくしかなかった。

「次の人が入ったら辞めていいって親方から言われていたっす。良太さん来てくれて助かった」

敦さんの顔は嬉しさに満ちていた。

(つづく)

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