PROJECT BABEL a-3

PROJECT BABEL

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その朝、いつになく大勢の刑務官が部屋に入ってきた。抵抗はできない。指示されるままに離れた建物に向かう。白い布が顔に掛けられ、周囲の情報から遮断された。建物に着いた時から、どんどんという耳障りな連続音がアキラの感情を揺り動かしていた。工事でもしているのかと訝ったが、その音が自分自身の心臓の高鳴りなのだと気が付いて苦笑する。冷汗が出て、背中にシャツが張り付くのがわかる。

「ビー、ビー、ビー、…」

突然、ブザーが鳴った。その音に反射するように何も考えまいとアキラは決意した。死はアキラのすぐ前に迫っていた。

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響き渡るブザー音に続いて宇宙服が振動した。睡眠から速やかな行動に導くための、ようは目覚まし時計の機能だった。

「中間設備発射まで10分。乗務員は速やかに準備に入ること」

スピーカーからヨーコの指令が聞こえる。アシュケナージが乗る一号エレベータに続いて、中間設備発射の時間が迫っている。2万5千キロ近い旅が間もなく始まる。言うまでもなく地球圏から離れるための旅だ。

「俺が乗るんだったな」

アキラはため息をついた。

「どうした、悪い夢でも見たのか?」

同じく横で仮眠を取っていたアローンがアキラの肩に手を置いた。

「日本での事を思い出しだんだ」

アキラは答えた。

「お前もか。俺も同じだ」

言いながらアローンは手首をさすっている。電気椅子に身体を固定するための拘束具の感触を思い出しているようだ。

「じゃあ、行くよ。世話になったな」

「悪いな」

「地球から離れるのが悪いのかどうか、ここに居るという事は一番地球に落ちやすいということでもあるからな」

「そう言われれば、そうなんだが…」

アローンは後ろめたいらしく、アキラから視線を外した。

「いずれにせよ、俺が提案した『じゃんけん』で決めたことだ。文句はないよ」

アキラは傍らからヘルメットを取り上げて、立ち上がった。

「テザーの接続、一人で大変だと思うけれど頼んだぞ」

最後の言葉をアローンに投げかける。

「ああ、お前達に弁当を届けるためにはやるしかないからな」

アローンは親指を立てて笑った。

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遡ること数年前、G7にオブザーバー参加するべく、デイヴィッドはシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。瞬く間に100億ドルを遥かに超える資金を集めたデイヴィッドのプロジェクトは、世界中の知る所となっていた。

「世界の安全保障上の重大な問題」として、主要先進国の首脳全員が同時にデイヴィッドに会うことを希望して、会議は始まった。

「我が国は独自に開発する。金は出さんぞ」

合衆国大統領が口火を切った。

「そもそも需要があるのかね」

先進国という名前にぶら下がっているだけの某国お飾り首相が疑問を呈す。

「公平性が大事だ」

噛み合わないセリフが三番目に発せられた。日本の首相らしい発言だ。着席後、目礼したまま視線をテーブルの下に向けていたデイヴィッドは、苦笑しつつもおもむろに周囲を見渡した。

「細かいことは申しません。あなた方の国に置き場所の無い物、それらを全て引き受けます。そして、居場所のない人も適性を見て採用させていただく。これだけは約束します。当初運搬費用は100キログラムに付き1万ドル。現状の1/100で済むでしょう。三年かけて、更に半額を目指します」

7人の首脳が漏らした驚きの声をデイヴィッドは立ったまま聞き流した。先日まで一介の科学者だった男の顔は、既に先端企業経営者のそれとなっていた。その男が発する言葉を聞いて一人の男が目を見開いていた。先ほど発言した国土の狭い日本の首相だった。その他6人の国家元首は隣に座る者同士で腹の探り合いをするという当然の成り行きとなった。宇宙エレベータのプロジェクトそのものは既に公開されており、今更説明するまでもない。デイヴィッドは場が落ち着くのをただ待つのだった。意外にも万事消極的な日本が「公平性」を切り口に前向きな姿勢を示し、それをきっかけとして株式という形で全7カ国が資本参加することが決まった。出資割合はGDP比に則ったものとなった。合衆国大統領は、あまりにも簡単に前言を撤回した。世界最大の国と言えども、自国内で処理するのが難しい物があることは明白だった。同じく公平性の名の下に、宇宙エレベータの設置候補地は、合衆国、欧州、日本から同程度に離れた場所が望ましいとされた。赤道直下、且つ、衛星進路の関係で西側に海のある広い陸地がいくつか候補に挙がった。話のまとまりをもってG7議長から昼休憩の宣言が出された。結局、会議に要した時間は一時間にも満たなかった。

翌日、世界中のマスコミが批判を込めてプロジェクトについて報道したが、世界人類のほとんどは「だれでも簡単に宇宙に行ける」という「希望」に向けて夢想を始め、批判はほとんど無視されることとなった。

「宇宙旅行?そんな約束をした覚えはない。エレベータで宇宙に運ぶのは基本的に物だけだ」

取材記者に向けてデイヴィッドが言い放った言葉に全世界が落胆するのは、ずいぶん先の話になるのだった。

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「エレベータ用テザー接続部は、間もなくセカンドエレベータに到着する。乗員は速やかに昇降装置に設置できるように準備せよ」

デイヴィッドの声がスピーカーから流れてきた。

「アイアイサー」

いつものヨーコの声ではないことに一瞬戸惑いながらもアローンは冗談めかして返事をした。

アキラの高等技術によって吊り上げ用テザーに接続されたエレベータ用テザーがついに2号エレベータ、つまり宇宙空間に到着するのだ。

「こんな労働だけは人間がやらなければならないとはな」

テザーを昇降機に取り付けるという大仕事を想像して、アローンは悪態をついた。これで宇宙と地球間の物の行き来は格段に簡単・安全になり、費用は驚くほど安くなる。新たな宇宙開発時代の始まりだ。ふと周囲を見回して、先ほどまでと様変わりした室内の様子にアローンは気が付いた。これまでは第一エレベータと第二エレベータを繋ぐエレベータ用テザー、そして、中間設備を含めた三つの施設を結ぶ吊り下げ用テザーで多くのスペースが占められていた。それらを第一エレベータと中間設備が今この時も引張り上げていているのだ。テザーは宇宙に向かって開けられた穴にシュルシュルという音を立てながら吸い込まれていく。周囲の空間が広々としていることに改めてアローンは感慨を覚えた。

「こういうのを日本ではワンルームマンションと言う」

第二エレベータ内の居住空間を指して、アキラが日本の特殊な住宅事情について説明したのを思い出す。

「一つしか部屋が無いのにマンション(豪邸)かよ」

アシュケナージと共に笑ったのはつい数時間前のことだった。奇妙な懐かしさと静かな興奮が相まった不思議な感情がアローンの胸を占めていた。

「歴史的瞬間って奴か。デイヴィッドがアナウンスしたくなるのもわかるな」

アローンが発した一人言は誰の耳に届くこともなく、ただ宇宙の闇に溶け込んでいった。

 

続く

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