PROJECT BABEL a-6

PROJECT BABEL

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「思っていたより匂いが無いな。国際宇宙ステーション内は恐ろしく臭いと子供の頃に聞いた覚えがあるんだが」

ヘルメットを外してしばしの間周囲を見渡した後、ヘンリーが言った。

「ああ日本が開発した光触媒塗料のおかげさ。あの国が持ち込んだ技術は細かい所で我々を救ってくれているよ」

カルロスが答えた。

「日本と言えば、ロケット時代に太陽光パネルを宇宙に設置して発電するとか、莫大な酸素と費用を要する計画を政府が発表したりしていたよな。ステューピッドな人間ばかりかと思っていたけれど、違うんだな」

ヘンリは苦笑しながら言った。

「ああ、民間の技術者は優秀だ。Aグループのアキラもしかり。彼は技術だけでなく責任感も人一倍。だからこそ、阿保な政府に我慢できなくなりテロルを計画したって噂だぜ」

宇宙エレベータ勤務が既に半年を過ぎたカルロスは、ここに来てから耳にした噂を口にした。

宇宙服の生産など様々な問題を乗り切って、宇宙エレベータに少しずつ人が増えていた。今回はHチームの3人が到着し、その内2号エレベータでの勤務が決まったヘンリーだけがカーゴを降りた。残りの二人は、2号・1号間テザーへのカーゴの付け替えの後、すぐさま中間設備と1号エレベータに旅立ったのだった。色々な失敗を繰り返しながらも、円滑に人を送りこみ作業を進めるための技術は確実に進歩していた。既に何人かは命を落とし、また何人かは正気を保てなくなり地上に降りていた。しかし、どうにか2番目のエレベータ、通称ベータも完成が見えてきた。宇宙エレベータの弱点は、テザーで牽引できる荷物重量制限の関係で、今のところ2時間おきにしか荷物を運べないことだった。しかし、ベータが完成すればその問題もある程度は解消できる。テザーの開発も全世界がしのぎを削って行っているため、既に初期の頃の1.3倍の強度を持つテザーに付け替えが終わっていた。その上、今回のHチーム3人の到着により、ようやく1日当たり八時間の労働時間にして24時間操業できるだけの人員が揃ったのだった。ただし、問題はある。そもそも施設のほとんどを作業スペースが占めている宇宙エレベータなのだ。人が増えるということは、宇宙服を脱いでくつろげる空間に居られる時間がその分減るということでもある。そのことによるストレスは徐々に積み重なっていき、いざこざが絶えないようになっていた。宇宙空間にいるということは、筋力を使わなくなるということだ。つまりここ宇宙エレベータで肉体的に最も強いのが今来たばかりのHチーム。喧嘩で勝てる見込みのないのが、アローン、アシュケナージ、アキラのAチームなのだった。

「いやいや、俺の負けだ。お前達の言う通りにするよ」

何かいざこざがあるとAチームの3人はすぐさま両手を上げて降参した。PROJECT BABELの最初から宇宙に居るAチームは、既に伝説的存在となり「トリプルA」と呼ばれていた。3人全員が生きて、しかも仕事をこなしていることは脅威であり、他の作業員の希望の対象となっていった。その3人が、何らかの原因で対立が起きるといつもあっさり頭を下げるのだ。このことが結果として宇宙エレベータ内に充満した閉塞感をいくらか緩和する役割を果たすことになった。微妙なバランスの中で、エレベータ内の秩序は維持され続けていたのだった。そうして、2番目の宇宙エレベータ、通称ベータは完成した。

アルファエレベータにより資材を運搬、重力と遠心力のバランス理論に則り、高度3万6千kmからテザーを伸ばすという安定的工法を取り得た事で、工事に要した資金はアルファの1/8になった。エレベータ施設と中間設備がそれぞれ1つ増えたことで、もちろん資材費に多少の超過はあった。保険料も当初計画の1/40からはやや増えて、アルファ建設時の凡そ1/30となった。しかし、揚力はアルファの1.3倍となったことで、物資の運搬も120分に1回から93分に1回となり、一日当たりの運搬回数も12から15に増えた。今や、「宇宙に物を運ぶ方法としてこれ以上は無い」と世界からの称賛を浴びることとなっていた。余計な推力(ロケット推進)を必要とせず酸素の消費量が少ないことで、環境を破壊するとして当初あったマスコミの批判もすぐに立ち消えとなっていった。まれに「建設費を口実として運搬料を下げないPROJECT BABEL」との見出しが新聞の3面以降に踊ることもあったが、この企業に対する期待は日増しに高まり、ベータ完成後の株式時価総額は2倍となった。社名も改めて「PROJECT.BABEL INC.」となり、世界で3本の指に入る企業として存在感を示すようになりつつあった。そうして、ベータのテスト稼働は順調に進み、ついに本格稼働の日を迎えることとなった。

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その日、宇宙エレベータの地上施設に完成したベータ用搬入口前は人で溢れていた。事業に出資する各国首脳や国際的投資家が招待され、取材のマスコミも交えて型通りのセレモニーが行われたのだ。最後に、最初の積荷である「フィルム型ペロブスカイト太陽電池」がカーゴに収められた。ポーランドの企業が製造し、運搬費と宇宙での設置作業代を支払った上で、宇宙エレベータ施設に売電するという事業企画である。「更なるエコシステム」であるとマスコミにも注目されていたものだった。

「積荷が軽いのであまり儲けになりません」

デイヴィットのジョークに会場が湧く中、カーゴが上昇を始めて、興奮の中でセレモニーは幕を閉じた。参加者のほとんどが立ち去った後、デイヴィットはワインを片手に数人の投資家に設備について説明していた。

「おおっと、大事なことを忘れていた」

物資搬入口の前に来た時、デイヴィットは肩をすくめると、設備の名札を覆っていたテープをやおら剥がした。

「核廃棄物最終処分場入口」

投資家の一人が名称を読み上げた。

「これが一番重くて金になるんです」

デイヴィットが笑顔で説明した。

「そりゃ、そうだ」

その場にいた投資家全員が笑った。それを潮に、パーティはお開きとなった。

「一番、金を出すのは日本?それとも…」

施設を出る廊下でも投資家の質問はお決まりだったが、いずれも高級な靴の音に消され、周囲に聞こえることは無かった。航空機に存在を示すための蛍光塗料を塗布されたエレベータ・テザーは微かな音を立てて天空に吸い込まれ続けていた。カーゴには宇宙エレベータ内で通称アンカーと呼ばれる円筒形の筒が積まれている。しかし、実物に興味の無い投資家達がわざわざ振り返ることはなかった。

 

「所属不明のAn-225 ムリーヤの飛行が確認されました。予測飛行方向延長上に宇宙エレベータが含まれます」

ヨーコがデイヴィットを振り返って言った。管制室はにわかにざわめきに包まれた。

 

続く

PROJECT BABEL a-7 完

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