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少し大きくなり、わずかながらでも自分で餌を取れるようになると、チャドは母親から徐々に離れ、子供同士で遊ぶようになった。また、同じような年頃の友達の他にも、一緒に暮らす年配の仲間ともよく話しをするようになった。年上の仲間から自分の知らない話を聞くのは楽しくてためになった。今日はどんな話が聞けるかなといつもわくわくしながら、チャドは進んで大人との会話に加わっていった。話しをする側の大人達も、話の途中で飽きてしまうような子供と違って、どんな内容でも興味津々で最後まで話しを聞くチャドを歓迎した。ほとんどが自慢に終わるような話の中にも、物事を上手く進めるために役に立つ事柄が潜んでいることをチャドは少しずつ学んでいった。
年若いオスの仲間は、草原で猛獣に追いかけられて危うく食べられそうになった経験を面白おかしく話してくれた。
「あの鋭い牙を剥いた顔が目の前に迫って、『もうだめだ!』とあきらめて手で顔をおおった時だったよ。噛みつかれて首を引きちぎられる自分が目に浮かんださ。ぎゅっと目をつむってその瞬間を覚悟した、ところが何も起こらない。どうしたのだろうと思ってこわごわ手のすき間から見てみると、猛獣の奴は俺の後ろの、ずっと上の方をびっくり眼で見てやがる。何だろうと後ろを振り返ると・・・、いたのだよ、山のようにでかい奴がさ。何か妙に鼻の長い奴だったな。猛獣の奴、それ以上近寄れなくて、後ずさりするのさ。あのおっかない奴らも、自分達より大きな動物のことは怖いらしいのだな。俺自身も後ろにいた奴のあまりの大きさに口を開けてぽかーんとしちまった。するとどうだ。その長い鼻がにゅーっと伸びてきて、俺を担ぎ上げると、その大きな背中の上に乗せてくれたのさ。そうなりゃ猛獣の奴もどうすることもできない。俺はそいつの背中に乗って悠々としたものだったな」
若いオスは思い出すように目をつぶってうなずいた。
後でそのオスの仲間から聞いた話では、大きな動物の背中に乗せられたのはあとから考えた真赤なウソ。実際は猛獣がひるんだ隙に、後ろも振り返らずに逃げたということだった。まあ、真相はどうでも良い。大事なことは、猛獣でも自分より大きな動物には恐れを抱く。そして、森の中では見かけない大きな動物が草原にはいるということだ。それさえわかれば十分、チャドは満足しきりだった。
別の時には、普段行かないような森のずっと奥で見かけた自分達によく似た生き物の話しを聞いた。その生き物はチャド達の仲間によく似ていたらしい。最初、木の上から枝が落ちてきたと思って見上げたところ、今度は当たると痛い固い木の実を、仲間を狙って投げつけてきた。慌てて逃げたものの、そいつらは木登りや枝渡りが抜群に上手く、すぐ追いつかれてしまった。チャド達の仲間はそれでも逃げに逃げているうちに、木の少ない土地にぶつかったらしい。仲間達は木を降りて、立ち止まることなく地上を逃げ続けたが、木が少なくなった途端、その生き物たちとの距離が開いていき、何とか逃げることができたとのことだった。木の上では負けるものの、地上を移動する速さではこちらが勝っていたようだ。
「それは大昔一緒に暮らしていた者達の、子孫なのかもしれないな」
昔をよく知る年寄りの仲間がつぶやいた。その年寄りによると、チャドの仲間達は、以前はもっと森の奥深くで生活していたのだということだった。
「その頃は果物ばかり食べていたと昔の年寄りは話しておったよ。なんせ食べきれないほどの果物がそこら中にあったらしい」
そう、老いた仲間は言った。
「なぜ、草原の近くに住むようになったの?」
チャドの問いに年寄りは言った。
「それがよくわからんのじゃ。私らのご先祖様が森の奥から草原の近くに出て来たのか、それとも草原がご先祖様達のいる場所に近づいてきたのか・・・。気が付いたら森の木々は所々疎らになり、時には木から木へ渡るのも地面を歩かなければならなくなった。木が少なくなったため、果物も以前ほどには手に入らなくなった。しかたなく草の根っこやら、ありんこやら、口に入るものは何でも食べるようになった。わしの爺さんから聞いた話だがな」
『草が歩くところなんて見たことない。草原が近づいて来るなんてこと、あるわけないよな』
チャドはそう考えた。
時が経ち、チャドはその考えは改めざるをえなかった。いつの間にか森の木が更に減り、周囲に草原が増えていることに気が付いたからだ。不思議に思ったチャドは、それ以来、暇ができると森の端っこから草原を眺めて過ごすことが多くなった。
『僕らが眠っている時に、草達はこっそり歩いて来るのだろうか』
チャドはその様子をどうしても想像することができなかった。
年をとった木が倒れて朽ち果てる。これまでなら次に取って代わる若木が既に生えていた。ところが雨の降り方が変わったためか、はたまた、動物たちが木の若芽を食べるようになったためか、大きな木が育ちにくくなったのだ。そして地面に日の光が届きやすくなったため、草の繁殖が旺盛になった。それこそが、草原が近づいてきた真相だった。とは言え、あまりにもゆっくりとした変化だったのでチャド達は見過ごしていたのだった。
木々が茂る森が終わり、青々とした草原になる。その草原も森から離れるにしたがって、草の数は徐々に減り、疎らになっていく。森の近くでは目立たなかった赤茶けた土の色が、徐々に草の色を飲み込んでいく。そして、ここから見ることのできる地面の端っこ、つまり地面と空の境目の辺りでは、草の色は、ほとんどわからないほどに目立たなくなってしまう。
『あの先はどうなっているのだろう?何もないのか、それとも何か別のものがあるのか、いるのか』
森から半分突き出た岩の上に寝そべって考えるのが、チャドの日課のようになっていった。
(続く)
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成長
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