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ぬかるんだ地面。なんども足をとられ、転んだ。起き上り、また走る。僕が止まる度に、先を行くソウがじれったそうに振り返り、下を見てため息をつく。悔しいけれど、身体が思い通りに動かない。既に胸は張り裂けそうなほど鼓動を打ち、腹の痛みは限界を超えていた。腰に刺した出来立ての剣がずっしりと重く、足への負担は尋常ではなかった。ここまで月の満ち欠け二回りもの間、何をするのも忘れて剣造りに打ち込んでいた。折れた剣の断面から、大陸の鉄炉で密かに造られていた謹製剣の仕組みがわかった。その後、試行錯誤を繰り返しながら、ついに最高の仕上がりに辿り着いたのだ。大陸でクレからもらった剣に勝るとも劣らないと自信を持って言える。完成したのは昨夜のことだった。ケンも僕もそのまま気を失い、今朝、ソウにたたき起こされるまで泥のように眠ったのだった。
「リョウ、わかっているのか?姉ちゃんが嫁に行っちゃうのだぞ!急げ!」
ソウが道の先から大声で言う。雪解け後の満月の夜、テラは隣村に嫁入りするとソウに告げられた。それが今晩なのだ。阻止したいのなら急げ。ソウの言葉は、長い間、僕がひた隠しにしていた思いを皆の前にさらけ出すものだった。後ろから付いて来るケン、ラウト、コウ、そして、シュウとハナにも今の言葉を聞かれてしまっただろう。赤ちゃんの面倒を見ながら、更に後ろからゆっくり歩いて来ているはずのサイにも、いずれコウから話が伝わるだろう。しかし、今は恥ずかしいなどと考えている時ではない。走りながらも、僕の頭の中では離され島から今までの出来事が次々と巡っていた。何度も挫け掛けた経験の全てにおいて、目立たないものの常にしっかりと役割を果たしてきたのがテラだったのだ。そして、僕らが考えている村の行く末にとって、彼女は欠かせざる存在なのだ。いや、村だけではない。僕にとって、テラのいない人生など考えられない。
「今、頑張らなくてどうする?」
自分に言い聞かせると、絶え絶えの息の中、鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を起こし、僕はまた走り出した。
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多くの頂を持つ山の麓にある、懐かしい僕らの村。剣を造るために移り住んだ龍ヶ淵から村までは、歩いて移動すれば丸半日以上かかる。朝、ソウに責付かれて淵を出発してから、水を飲む間もなく走り続け、ようやく村の入り口までたどり着いた。普段から猟で山を走り慣れているソウには、ずいぶん遅れを取ってしまっていた。テラの親が住んでいるのは、その村を越えて少し行った川向うで、テラもそこに居るはずなのだ。ソウが言うには、テラは嫁入りの為にいつ隣村に出発してもおかしくないらしい。僕は、転んで痛めた足を引き摺って村の中を進んだ。村人の多くが数年振りに現れた僕を見て、びっくりしている。龍ヶ淵に移り住んでから一度も戻ってこなかったのだから、当たり前だ。幼い頃からの友人達が僕を見つけて、ためらいながら近寄って来た。僕が足を止めかけた時だった。
「リョウ、のんびり話をしている暇なんかあるのかよ!」
ずいぶん先を走っていたはずのソウが、戻って来ると大声で呼びかけてきた。友人達には手を挙げる合図だけして、僕はまた走り出した。いや、正確に言うと、既に走ることなどできなくなっていた。久しぶりに走って痙攣を起こしかけている脚をずるずる引き摺るようにして進むだけだった。ついに村の端っこの小川に辿り着いた。雪解けの冷たい水に、本来ならとても渡る気になどならないところであったものの、かといって、橋のある所まで遠回りするのももどかしい。意を決して、僕は川の中に脚を進めた。水の冷たさが痛みとなって足先を襲ってくる。すぐに痛みは痺れとなった。そのまま僕は川を渡り切った。途中で転んでびしょ濡れになってしまったものの、ついでだと思って顔を洗った。鉄造りで出る煤と鼻水で薄汚れた僕の顔は、少しだけすっきりしたのかもしれない。冷たい水を顔に受けることでぼんやりとしていた意識が戻ってきた。ずぶ濡れの僕が川から上がった時、テラの親達と生活を共にする何人かの人達が、通りがかった。皆、びっくりして僕の方を見る。
「テラはどこ?」
僕が訊きたいことはただ一つだった。一人の女性が驚いた顔を取り繕うことなく、奥の方を指さした。僕は、その方向に向かってゆっくり歩んでいった。曲道を越えると、偶然テラの母親の顔が目に入った。彼女はこちらに気が付くと驚いた様子を見せた。そして、背中を向けると足早に走り去った。僕は彼女の後を追うように更に進んで行った。森が開け、山肌に段々と重なる土地が目に入った。そこにテラがいた。彼女の母親が何かを話しかけると、テラは顔をこちらに向けた。
「おーい、待て!」
後ろから男の声が聞こえた。振り返るとテラの父親が走ってくるのが目に入った。彼が来るのを僕は待った。
「テラのお父さん、テラを隣村にやったりしないでください」
僕は言った。彼は驚いた顔をして何か言おうとした。
「テラは村にとって欠かせない人です。彼女がいれば、村の中のことは全て上手くいくでしょう。そもそも最初に旅に出ることになった理由も、テラが将来、村のまとめ役になると考えての事だったはずです」
一気にまくし立てた後、僕は腰の剣に手をやった。そして、鞘から剣をするっと抜いて、空に向かって掲げた。剣には曇り一つなく、日の光を受けてきらきらと輝いた。
「ご覧ください。約束の剣が出来上がりました。僕が、僕らが造った剣です」
テラの父親は剣の輝きに見入るようにして空を見上げながらも、無言で佇んでいた。
「大陸から多くの兵を携えて、王の血族がやって来たとの噂が流れてきています。いつかこの村にやってこないとも限りません。ですがこうやって、彼らが持っている以上の剣を造れるようになれば、どんな敵が来ようとも怖くはありません。テラのお父さん達も村に戻って来てください。必ず守ってみせます」
話しと共に剣が細かく揺れた。傍から見たら、まるで僕がテラの父親に剣を振りかざしているように見えたことだろう。
「リョウ、何やってるの?まさかお父さんを切るつもりではないでしょうね?」
懐かしい声がした。振り返るとそこに、目を丸くしてかすかに笑みを浮かべるテラがいた。すぐ後ろには彼女の母親が寄り添っていた。
「テラ!いや、自信を持って見せられる剣ができたから、君のお父さんに報告に来ただけなのだ」
僕はどきまぎしてそう言った。
「それで?」
テラが言った。
「それで?」
僕は訊き返した。
「それで?」
もう一度テラが言った。
「約束通り剣を造れるようになったのだから、君を他所の村にやったりしないでくれと…」
僕は、それ以上言いあぐねて、下を向いた。
「私が他所の村に行っても困る事なんかないでしょう?」
怒ったような顔をしてテラが言った。
「いや、それは困る。それだけは困るのだ」
「誰が困るの?」
「村の皆が困るはずだ。女衆をまとめられるのはテラしかいないと皆が思っている」
「皆がね」
テラは興味なさ気な返事をした。
「いや、困るのは僕だ。テラは一緒にいるものだと、離され島にいる時から僕は考え続けていたのだから。テラ、他所に行ったりしないでくれ。ずっと一緒にいてほしい」
思わず気持ちの全てを語ってしまった自分に、僕自身が驚いたその時だった。
「うわー、リョウが姉ちゃんに結婚を申し込んだぞ!」
「うおー!」
ソウの声がしたかと思うと、周囲から歓声が上がった。見回すと、村中の人達が僕らを遠くから取り囲んでいた。そして、皆がこちらを指さして大騒ぎになっていた。よく見ると、人々の中にはケン、ラウト、コウ、サイ、そして、シュウとハナ、もちろん、僕の父さん母さんも混じっているのだった。
「あれ?」
僕は茫然とするしかなかった。
「隣村にお嫁に行くことになったのだよね」
どうにか気持ちを落ち着けて、僕はテラに尋ねた。
「行かないわよ」
「行かないの?」
「行かないわよ。ソウが何か適当なこと言ったのでしょう」
テラが笑いながら言った。
「まあ良いではないか。さて、今夜はお前達の結婚の儀式だ」
テラの父親が言い、僕は唖然とするしかなかった。ソウが走って来ると言った。
「俺とケンの肩に紋様を入れるのを忘れないでよ」
「ああ、お前達は既に大人だからな。皆も不満はあるまいて」
笑いながらテラの父親が答える。
「リョウ、見て」
テラが山肌の段々を指さした。
「あれはお米を育てる為に造ったの。リョウがいない間にたった一本の稲から、あんなに沢山植えられるほどにお米が増えたのよ」
「君達が造った鍬や鋤のお陰で、田んぼを造ることができたのだ。もう冬の旅に出る必要はない。村人は皆、君達に感謝しているのだ」
思ってもみない展開だった。知らない内にテラが大事な仕事を成し遂げてくれていた。
「ソウから聞いたよ。クレ達がいつ襲って来ても良いように国を興すのでしょう?頑張ろう。リョウならできるよ」
テラの言葉に僕はただ頷くことしかできなかった。ついさっきまで、テラがお嫁に行ってしまうと思っていたのだ。あまりの展開に、もう何も考えられなくなっていた。ケンが近づいて来るのがわかった。何か言おうとケンの方を向いた途端、僕は目の前が暗くなった。そして、身体が揺れたかと思うと、僕はその場でくずおれた。テラの父親に身体を支えられたのがわかった。
「リョウ!リョウ!」
テラが驚いて、倒れた僕の肩を揺すっているようだった。ソウとケンが慌てて駆け寄って来て、僕の顔を覗き込んでいる気配が感じられた。
「あーあ、気を失っちゃったよ」
ソウがあきれて言った。
「リョウはずっと、徹夜続きだったのさ。テラの為に何としても最高の剣を造ろうとしてね」
ケンの声が上から聞こえてきたけれど、僕は起き上がることができなかった。身体は自由にならないものの、声だけは聞こえているという不思議な感覚に包まれていた。沢山の足音が近づいて来る。集まった村人が、どんどん周囲を取り囲んでいるようなのだ。
「ソウ、君が図ったのだね」
「ああ、放って置くとリョウはいつまでも姉ちゃんに何も言えないだろうからさ。先に到着して皆に触れて回ったから、村中の人が集まって来たな。全員が聞いたからリョウはもう逃げられないぞ」
ケンがソウに尋ねると、ソウはあっさりと白状して、にんまりと笑った。ケンはテラの方を向いて言った。
「リョウはずっとテラのことを考えていたよ」
「うん、わかった」
テラの返事が心地よく耳に響いた。
「さあ、もう少し寝かせておいてやろう。その間に我々は儀式の準備だ」
テラの父親が言うと、周囲の村人が次々と同意を示しているのが、目を瞑ったままの僕にも気配として伝わってきた。
「俺達の紋様も忘れないでくれよ」
ソウが言った。
「僕は痛いのはちょっとな」
ケンが紋様を入れる儀式に戸惑いを示すと、ラウトが笑い、コウ、サイ、そしてハナがそれに続いた。
「シュウ、兄貴の代わりにお前が入れたらどうだ?」
ソウがシュウに矛先を向けると、慌てて逃げ出すシュウを村人が囃し立てる。当面、目を覚ますわけにはいかない。うっかり開いてしまわないように硬く目を閉じながらも、僕は幸福感に包まれていた。多くの頂を持つ山から吹いてくる風に、春の気配を感じながら。
離され島冒険記 完
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