草原のチャド1-6.激突

草原のチャド

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「ぐしゃ!」

凄まじい音がした。

チャドは自分の頭が咬まれて割れた音だと思った。

死ぬってそれほど痛くないものなのだという思いが一瞬頭をよぎったものの、その時になって音はもっと上の方で鳴ったのだと気がついた。顔を上げようとしたその時、上から重いものが降ってきた。毛皮の柔らかさとぐにゃりとした感覚がチャドを襲った。猛獣の身体だった。チャドに飛び掛かったその瞬間に獲物が転んだものだから、猛獣はチャドを飛び越えてそのまま岩に激突したのだった。

どうにか猛獣の身体の下から這い出て、チャドは立ち上がった。身動き一つしない猛獣。ぐちゃぐちゃに潰れた頭を覗き込んでみる。上顎から見えていた牙が根元から折れているのがわかった。

「ふー」

チャドはほっと一息ついた。と、その時、急激に襲ってきた地面の熱にチャドは飛び上がった。普段歩いている森の中や草原では、足が土に直接触れることはほとんどない。沢山茂っている樹木や草の葉によって、直射日光が地面を熱するのを防いでくれる。こんなに熱い地面に直接触れるのはチャドにとって初めてのことだった。チャドは慌てて森に逃げ込もうとした。が、ふと振り返って猛獣を見た。

「こいつを持って帰れば皆喜ぶぞ」

チャドたちの食べ物の多くは木の実だったが、たまに手に入る小さな動物を皆で分けて食べる習慣があった。チャドは肉のおいしさを知っていた。足の熱さを我慢して、チャドは猛獣を森に引張っていった。折れて転がっていた猛獣の牙に未練を感じたものの、猛獣を運ぶのには邪魔なので岩の下に隠しておいた。

猛獣の身体は重く、森に入ってからは草木に邪魔されて思ったように運べなかった。猛獣で両手が塞がっているので、必然的に立ち上がって進むしかない。ゆっくり、何度も休みながら、チャドは住処に戻っていった。近くまで来たところで仲間がチャドを見つけて、猛獣を運ぶのを手伝ってくれた。とは言え、そもそもチャド以上に歩ける者はいなかったので大した役にも立たなかった。住処に到着した時にはチャドはくたくたになっていた。

皆の喜んだことったらなかった。動物の肉はご馳走だ。小さな動物ですら大騒ぎになるところ、自分たちの体より大きな猛獣なのだ。その晩は食宴となり、騒ぎは夜更けまで続いたのだった。皆がどうやって猛獣を倒したのか聞きたがったが、チャドは黙っていた。結局のところ、チャドが猛獣の頭をつかんで岩に叩きつけて倒したことに皆の中で話は決まったようだった。

長老が肉の礼を言いに来たので、チャドは昼間見た大きな水溜りについて尋ねてみた。じっと考え込んだ後、長老は言った。

「それは湖だろう。大昔、山の上から見たことがあるとわしの爺ちゃんから聞いたことがある」

「湖?山の上から?」

チャドは目を大きくして言った。

「そうじゃ。高い所に上ると遠くのものが見えるのじゃ」

チャドは木に登った時のことを思い浮かべた。しかし周囲の木々に邪魔されて、遠くまで見えた記憶はなかった。ふと、岩の上に立ち上がった時に普段より遠くまで見えるように感じたことを思い出した。

 

「高い山に登れば昼間見た湖が見えるのだね?」

チャドの更なる問いかけに長老は頷いた。

「ああ。そもそもわしの爺ちゃんのそのまた爺ちゃんの頃は湖が近くにあったという。行きたい時はいつでも行けたらしい。だがやがて湖は遠ざかり、間に茂っていた木は枯れ草原となった。その草原も徐々に草が減っていき、むき出しの土だらけとなった。爺ちゃんの頃には既に湖まで行くのは無理になっていたらしい。湖がわしらから逃げて行ったのか、はたまた、わしらが湖から離れていったのか、その頃にはもうよくわからなくなっていた

「それでも長老のお爺さんは湖を見たのだね。山に登って見たってどういうこと?」

「わしの爺さんは、そのまた爺さんから湖の話を聞いて、いてもたってもいられなくなった。湖という大きな水溜りを見ないでは気が済まなくなったのだ。それで毎日毎日、木に登っては周りを見渡していたらしい。どこかに湖がないかとそればかり考えていたのだ。ある日、木の上から山が見えた。爺さんはもしかしたら山の向こうに湖があるのかと思い、山に登ることにしたのだった。山の頂が突き出して見える森の奥に向かってどんどん進んだのだ」

「森の奥には僕らに似た奴らがいるって聞いたよ。大丈夫だったの?」

もし何かが攻撃してくるなら一番の障害だ。チャドは心配になってたずねた。

「行きは叫び声で威嚇してくるだけだったらしい」

「へー、それでどうなったの?」

「山は高く、途中から木も少なくなって大変だったと爺さんは言っておった。だがな、一番高い所に登った向こう側は森と草原が続くだけだった。気を落としつつ、さあ戻るかと振り返ったその時、目の前に湖が広がっているのに爺さんは気がついたのだ」

「では、湖が見られたのだね?」

チャドは居ても立ってもいられないほど興奮して言った。

「そうわしの爺さんは言っておった。だが気をつけなければならん。山があるのは森のずっと奥で、わしらの縄張りを越えねばならん。わしの爺さんも行き帰りに夜をやり過ごしてようやく帰って来たのだ。わしらに似た奴らは、行きはそうでもなかったものの、帰りはずっとついて来て、時々木を揺らされたり、物を投げられたりして大変だったと言っておったぞ」

山はとても険しく、途中からは木も無くなる。並みの者では登れないからやめておけと、長老は繰り返し呟いた。チャドに自ら危険な場所に足を踏み入れるなと諭そうとしたのだった。しかしその時にはチャドの頭の中はすっかり湖と山のことで一杯になり、長老の言葉は聞こえていなかった。

眠くなった」

説得をあきらめた長老は、静かにチャドの元を離れていった。

チャドは長老がいなくなったことにも気付かないほど湖とまだ見ぬ山に心を奪われていた。

(つづく)

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絶対絶命

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物語のはじまりから読むー「誕生」

激突

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