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猛獣を連れ帰った日以来、チャドは仲間内で一目置かれる存在になった。持ち回りでしていた食料採取も、チャドが希望し行きたい方向に移動し始めると、自然と皆がついてくるようになっていった。チャドは毎日違う方角に食料を採りに行った。行った先で木の上に登るのもチャドだった。木のてっぺんに登るということは、ワシに狙われやすいということでもある。危険を顧みることなく率先して皆のための仕事をこなしていくチャドを慕う声は日増しに強くなっていった。実のところ、チャドは草原で見た湖の蜃気楼のことで頭が一杯で、長老が話していた山を探す為に木の上に行きたかっただけだったのだ。日増しに大きくなる仲間の期待に気がつくこともなく、チャドは森の奥へ奥へとひたすら山を求め、捜し歩いて行くのだった。
食料調達が済むと、今度は草原に向かうのがチャドの日課となっていた。上手くすればまた湖を見られるのではないかと期待する気持ちと、以前手に入れた牙を見るためだった。牙を手に取って眺めながらいつもの岩の上で日暮れ前まで過ごす。そうして思い返すのは湖の蜃気楼を追いかけて草原を歩いたあの日のことだった。それはチャドにとって確かに冒険だったのだ。しかも命がけの冒険そのものだった。思い返すだけで気持ちが高ぶっていく。手にずしっと重い牙は、まさに命の懸かった瞬間の結果であり、象徴だった。
ある日のこと。いつものように朝が来て、食料調達にチャドは出掛けた。一緒についてきたのは若い雄ばかりだった。そうなると移動の速さが違ってくる。
「少し遠出をしてみよう!」
チャドは皆に声をかけてこれまで以上に森の奥まで進んで行った。ついに縄張りと言われる場所を越えたものの、何も出会うことはなかった。周辺にいるはずの自分たちに似た奴らも、近づいて来る気配はない。若い雄ばかりのチャドたちを襲っては無傷では済まないと考えたのだろう。威嚇しているのかそれとも仲間通しで連絡と取りあっているのか、時折叫ぶような声が聞こえるものの、その姿を見ることはなかった。
豊富に実がなる木を見つけて、いつも通りチャドが上まで登った。木のてっぺんに顔を出して周囲を見回すチャド。立ち昇る水蒸気に白く煙った森の先に、すくっと立つ薄茶色のものが目に入った。探し続けていた山がついに見つかったのだった。チャドは木に登った目的を忘れ、しばしの間山に見とれていた。山の下の方は木が茂り白く煙っている。途中から木が無くなり、赤茶けた岩がゴロゴロしているのが遠めでもわかる。てっぺんには何故か一本の木が生えている。それは不思議に魅力的な光景としてチャドの気持ちを揺り動かした。
「チャド、早く木の実を落としてくれ」
下から声を掛けられてようやく我に返り、チャドは急いで木の実を落としていった。
その日、チャドはまた草原の岩の前に立っていた。岩の下に手を入れて探ると、いつものように猛獣の牙が手に触れた。山に行くときはこれを持って行こう。以前からチャドは何故かそう考えていた。牙を握る手にぎゅっと力を込めるとチャドは森の住処に踵を返した。
翌朝、朝日と共にチャドは森の奥へ進んで行った。何人かの仲間には森の奥の山に登ると伝えた。皆が止めたがチャドの決心は堅かった。木に登り枝を渡ってどんどんチャドは進んだ。昨日と同じように縄張りを越える。一瞬何かの声がしたような気がしたがチャドは気にすることなくどんどん進んでいった。昨日実を採った木を見つけるとてっぺんまで一気に登った。腹ごしらえと山の方角の確認のためだった。枝をかき分けて樹上に顔を出すと、朝もやの向こうに昨日と同じように山はそびえていた。
「よし、間違いない」
木の実を口に頬張りながらチャドは山をにらむように見つめ続けるのだった。
(つづく)
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牙
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