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最初に目に入ったのは岩のようにごつごつした肌だった。長いしっぽが胴体から伸びている。身体の両側に短い前足と後ろ足。重そうな腹が地面にどっぷりついている。自分よりもずっとずっと大きなその姿は、ぎょっとするほど恐ろし気だった。チャドが初めて見るワニだった。大きなあごを持ち、閉じた口のすき間からたくさん並んだ歯が見えた。そしてその口には、女の子のしっぽが咥えられていた。
「助けて!」
チャドに気が付いた女の子がこちらを見て必死に叫んだ。ワニは短い脚で後ろに下がりながら、ずるずると湖に女の子を引きずり込もうとしていた。女の子は地面に両手の爪を立て、必死に抵抗していた。地面の爪痕は長く伸びていて、指に血がにじんでいるのがわかった。チャドは即座に駆け寄って、近くにあった石でしっぽを咥えたワニの口を思いっきり叩いた。びくともしない。
「痛い!」
しっぽにも衝撃が伝わって女の子が呻いた。ワニはまるで何もないかのように更にずるずると後ろ足で湖に進んで行く。女の子の爪痕が伸びていく。手にした石でワニの目の周りを叩いてみたりと必死で攻撃するチャドだったが、ワニはどんどん湖に入っていく。女の子はついに水に引き込まれてしまった。踏ん張りが効かなくなって、一気に腰まで水に浸かる。チャドは手にしていた猛獣の牙をしっぽの辺りのワニの歯のすき間に突き刺すと、そのままぐりぐりと押したり引いたり回したりと抵抗を試みた。
「パキンッ!」
大事な猛獣の牙が折れた。とその時、女の子が叫んだ。
「何とかして!」
もうチャドは何も考えなかった。
先のギザギザになった牙を女の子のしっぽの付け根に突き立てると、力を込めて一気に引き裂いた。女の子の身体は一瞬でワニから離れ、湖岸に倒れこんだ。チャドは女の子に駆け寄ると彼女の身体を抱え上げた。ワニは女の子のしっぽを咥えたまま、水の中にブクブクと沈んで行った。
チャドと女の子はもつれるようにしてどうにか岸から離れたナツメヤシの木までたどり着いた。抱き合ったままへたり込むチャドと女の子は、そのままぜえぜえと息を吐き続けた。チャドの腕の中で女の子はしっぽが切れてしまった痛みに打ち震えていた。
「そういえば子供の頃、怪我をした時にだれかが背中を撫で続けてくれたような気がする」
チャドは幼い頃の母親を思い出して、女の子の背中を撫でてあげた。
しばらくして痛みが和らいだのか、女の子がチャドの方を振り向いた。目が遭い、少しの間女の子はチャドの瞳の奥を覗き込んでいた。
「ありがとう」
僅かに口元が動いたと思った時、かすれる声で女の子が呟いた。
その途端、チャドの中で何かが震えた。そして女の子から視線を外すことができなくなったのだった。
しばらくしてチャドは言った。
「ごめん、痛かったよね」
「まだ痛いけど、良いの。あのままだったら今頃ワニに食べられていたもの」
「あれはワニって言うのか」
チャドの返答に女の子は首を傾げた。
「あなたどこから来たの?」
「川伝いに草原を越えて来た」
「草原を越えて?よく猛獣に食べられずに済んだものね」
チャドは手に持っていた猛獣の牙を見ると、くすっと笑った。牙の先っぽは無残に折れていた。
「たまたま食べられずに済んだのだよ」
「地面が熱くて歩けないと聞いていたのだけれど」
「大丈夫だった」
「遠く離れた森に今も仲間がいるはずだとお祖父ちゃんが言っていたわ」
「湖がずっと向こうまで広がっていた頃、僕らは仲間だったのかもしれないね」
女の子は下を向いて少し考え込んでいるようだった。そして顔を上げると言った。
「ここにはナツメヤシが沢山あるの。ワニに注意さえすれば暮らすには良い所よ」
女の子は立ち上がるとナツメヤシに登ろうと幹に手をかけた。指先とお尻には血が滲んでいるのがチャドの目に入った。
「あ、僕が採ってくるよ」
チャドは立ち上がった。
「僕はチャド。君は?」
チャドの呼びかけに、女の子は振り返った。そして微笑みながら答えた。
「シャーリ」
湖を渡って涼しい風が吹いた。ナツメヤシの葉がそよそよと鳴るのをチャドは遠くの音のように感じていた。
(おわり)
まえの話に戻る。
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